大井恒行「憂国愛国革命無念竹岡忌」(俳句短歌誌「We」第18号より)・・


 俳句短歌誌「We」第18号(俳句短歌社We社)、「追悼・竹岡一郎」特集でもある。その「編集後記」に、

 (前略)竹岡一郎さんが6月21日深夜に急性大動脈解離で急逝されたのはショックで残念で悔しい。その日の18時46分、竹岡さんからのメール受信が最後だった。「We」への俳句作品は、「まだ気にくわないから、30日迄待って」ということだった。「切迫した独自性が無い句はつまらん」とよく仰っていたが、「切迫した独自性」にこだわる俳句作家であり、論客だった。〇7月刊行の拙句集『情死一擲』の跋文を快く引き受けて下さり、私の俳句上の師友だった。初校校正時「よくこんな跋文が書けたな」と自賛ふうであった。ご自分でも来年句集上梓を考えてあり、『けものの笛』以降の約5年分については、既に498句絞ってあった。これに今年の選句分約600句で出そうとされていた。いっぽう、とても家族思いの人だった。ご本人にとってもご家族にとっても、最も無念極まりない最期だったことと思う。


 とあった。また、夏木久の追悼句の次に、竹岡一郎の言葉を引用して、次のようにあった。


—…私が認識する詩は、もっと切迫した、映像でも音楽でも舞台でも表現できない事、直ぐに散り散りに破れてしまう言葉を、何とか形ある一行に固めて、白紙の中にでもまぎれてしまう一滴の叫びを、掬い上げようと試みるもの—(竹岡一郎・「We」第17号)

 この厳粛な言葉を肝に銘じて、哀悼!


 愚生が思い出すのは、「豈」への執筆を機に、攝津幸彦論を彼に書いてもらうこと。現代俳句評論賞(現代俳句協会員以外でも応募は自由)に応募を勧めたのだった。その際、竹岡一郎に言ったことは「君の論に評論賞を与えないのなら、それは、選考委員に見る眼がないということだ。竹岡一郎のままに遠慮せずに思い切って書くこと」だと。彼は、短時日でそれを書き上げた。そして、見事に、「攝津幸彦、その戦争詠の二重性」で2014年、第34回現代俳句評論賞を受賞したのだった。

 ともあれ、以下に、本誌より、追悼句を以下に挙げておこう。


  「ふるさとのはつこひ」反旗は比良坂へ       谷口慎也

  あるときは空手チョップの如き怒り         筑紫磐井

  憂国愛国革命無念竹岡忌              大井恒行

  吶喊のごと水晶多棘梅雨に遺る           関 悦史

  はんざきは鏡の奥に王を待つ            赤野四羽

  ひらかなをまとひけもののはしりつゆ        夏木 久

  汝のみ知る我が哀しみや夕立来る          北大路翼

  礼拝す繭の炎を踏みわたり             田中目八

  北へ進みTakeokasus ichironiensisに実りを熟す 櫻井天上火

  鳥壺を雨の壺をこしらふ空劫            斎藤秀雄

  抜き胴の如き評打ちたるや夕立晴          早舩煙雨

  「実体がないから僕は何にでもなれる」と言いて死者隣る

                           加藤知子



     撮影・中西ひろ美「行き合いの空から泪ひとしずく」↑

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