研生英午「哀しみは紅つたひ落つ螢あまた」(『鹿首』第18号)・・
詩・歌・美の共同誌『鹿首』第18号(鹿首発行所)、特集は「聲の霊(たま)」。執筆陣は天草季紅「生きつづける魂のうた」、小林弘明「物語は道なのか、受け止める声なのか」、早坂健伸「山水的陽水論」、中村茜「自閉症と知的障害と言葉と生活についての一考察」、室井公美子「東京ー声の霊」。
「表紙の言葉」の中に、
聲の霊(たま)は、幾世代も何代も続く魂の伝承だ。遺伝子だけではない、歌や言葉の波に乗って、歌い継がれてゆく。今此処という実在の現実から、あるいは過去からも、さらには未来へと継がれて征くのだ。(中略)
僕たちは今一度生きる原点に戻って、聲を発して征かなければならない。復路はない。歩き続けることで、生きる意義と確かな手応えを探って征かなければならない。聲を発して、言霊の風に乗って、此の道を歩いて征こう。
歩き出せば生れる道。この言葉は生きることそのものを表した僕の座右の銘だ。そして、僕の朗読用の詩の一句だ。(中略)
この一回性とも思える身体とともに、死へと収束し無へ還るまで、無彩色の砂粒になるまで、転がって征こう。形なき魂の世界に辿り着くまで、一歩一歩歩いて征こう。(E.M)
とあった。(E.M)とは、研生英午(みがき・えいご)のことだろう。ともあれ、本書中より、いくつかの句歌を以下に挙げておこう。
薔薇弄ってるうちに水銀のきもち 松本恭子
水辺の 花 そのしろい浮草の、水茎の 高貝弘也
AIが熱を発する謝肉祭 内田正美
即是空震えつ開く蓮一枚 奥原蘇丹
罰(ばち)だ罰悔悟の情沼に落つ 翁 譲
黒猫の幾千の飛ぶ荒月夜 鈴木淳史
帰り来よ「命(ヌチ)ドウ宝」忘忽石(わすれないし) 風山人
大赤木陰に鬼つ子キムジムナー 研生英午
木の枝に化けて竹節虫(ななふし)とまるかな鳴くこともせず飛ぶこともせず 川田 茂
平日の日中なれば来るひとの髪みな白し裁判所前 天草季紅
鬼無里を漂ふ蛾蒼き朱の照葉宙(そら)を舞ひ舞ふ 内藤隆子
撮影・中西ひろ美「何の実が成るとも知らず通り雨」↑
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