鈴木美江子「木頭(きがしら)の涼しき柝音(きおと)山揚がる」(『山あげの街』)・・


  鈴木美江子句集『山あげの街』(コールサック社)、帯の惹句は長谷川櫂、それには、


山あげの街水清し山清し

 鈴木美江子さんの句集の読者は/新しい季語「山あげ」の誕生に/立ち会うことになるだろう。


 とある。栞文には、谷口智行「毛の国からの矢文」、櫂未知子「情熱の街」、永瀬十悟「水清し山清し、そして人清し」。序文に、髙田正子「鈴木美江子第一句集『山あげの街』に寄せて」、いずれも玉文だが、ここでは序文の中から、


 ある日、「山あげ俳句全国大会実行委員会 委員長 鈴木美江子」様から大きな封筒が届いた。「山あげ」といえば那須烏山、

  炎ゆる炎ゆる揚がる揚がる山揚がる   黒田杏子『八月』

の聖地である。先師・黒田杏子のこの句は二〇一七年作。師の最終句集を編むにあたり、私自身が選出したのだから忘れようがない。


 とあった。また、著者のエッセイ「烏山の山あげ祭『山あげを季語に』」には、


(前略)山あげ祭は毎年七月の最終金・土・日の三日間行われる。真夏の炎天下、演じる踊り子たちは汗にまみれながらも美しい衣装を纏って真剣に演技する。豚緒右手の常盤津の太夫席からは二丁三枚(三味線二人、常磐津三人)と言われる力強い響きが流れる。舞台背景に山と呼ばれる作りものの背景が高く大きく遠近に配されている。(中略)

 時は戦国時代(一五六〇年)永禄三年、烏山城主那須家七代目資胤(すけたね)の時代に疫病退散、五穀豊穣を願って勧進した神社の祭で、延々と受け継がれたのである。(中略)

 山あげ祭は昭和五十四年に国の重要無形民俗文化財に指定された。(中略)平成二十八年には「烏山の山あげ行事」として全国の「山・鉾・屋台行事」とともにユネスコ無形文化遺産に登録された。(中略)

 山あげ祭は、風土性、歴史性、詩情性に溢れているという事を知って頂き、ぜひ、各出版社の歳時記に、インターネットの歳時記に収載されることを切に望んでいるというい事を広めたかった。季語として「山あげ」「山揚げ」傍題として「野外歌舞伎」「はりか山」などと定めた。


 ともあった。そして、その最後の頁には「山あげ祭とその歴史をご覧ください」とQアールコードが付いているので、スマホで簡単に観ることができる。ともあれ、以下に本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  山あげや滝夜叉姫の巻手紙        美江子

  山あげの街ひつそりと乳母車

  山の色迫り出して来る立夏かな

  秋灯や父の欧州旅日記

  霧のぼる山に呼吸を合せけり

  おやつとはやdさしきことば木の実降る

  打払ふことなにもなし鬼やらひ

  噛みしめて鱓(ごまめ)黒豆祝膳

  おすそ分けですと朝露分けて来る

    悼・黒田杏子先生

  鈴の音の遠ざかりゆく花吹雪

  山あげの願ひ聴き入れ賜りし


 鈴木美江子(すずき・みえこ) 1939年、神奈川県藤沢市生まれ。



★閑話休題・・令和6年度立川市シルバー大学「俳句講座」開講(於:立川市曙福祉会館)・・



 昨日、9月4日(水)は、立川市曙福祉会館に於いて、令和6年度の「立川市シルバー大学・俳句講座」の第一回の開催日であった。これより、毎月第一水曜日の午後、一年弱を皆さんと俳句について共に研鑽することになる。定員18名をオーバーして、抽選になっているらしい。TVプレバトで俳句の種を蒔き続けているので、たぶん、どこの俳句講座も満員になっているのだろう。従って、愚生は、声がかかれば喜んで出かけて行って、「有季定型だけが俳句ではありませんよ!俳句はもっと幅が広いものですよ!」と、子規の『俳諧大要』を引用したりして、ひたすら、正しい俳句の普及に努めているのです。



     撮影・中西ひろ美「この世界きっと誰かのものであり」↑

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