中西ひろ美「駅ピアノ弾く人なくてトンコリの自動演奏新函館北斗」(「垂人(たると)」46より)・・


 「垂人(たると)」(編集・発行 広瀬ちえみ/中西ひろ美)、中西ひろ美による「歌枕の句会2024・1・28」の記録、エッセイに「母(安達みなみ)の近況報告」、「塩ザンギと宗谷本線」、「旅の連句(二)姥捨」、広瀬ちえみ「こんな本あります⑬」、書評に「中内火星句集『シュルレアリスム』を読む/火星と現代俳句」など、バラエティに富む内容である。愚生が恐縮したのは、鈴木純一の「月にうつして大井恒行をながめた/大井恒行句集『水月伝』」評で、見開き8ページに及び、かつ、愚生の句には、味わい深い評の付句(七・七)がすべて付されている(有難う!)。少しだけだが紹介しておきたい。


(前略)中世、連歌がさかんなころ、夢で「ことば」を授かると、神仏が告げたものと考え、脇以下を続けて百韻とし、一巻を社寺に奉納した。これを「夢想の連歌」という。今朝も夢の中で誰かと話したが、最後に交わした言葉が耳に残っている。『水月伝』も悪夢で始まる。


  東京空襲アフガン廃墟ニューヨーク  御

    ガザに盲しひて逆髪を待つ    純一

  なぐりなぐる自爆者イエス眠れる大地

    おまえはほんとの父さんじゃない

 太字が大井の句。これを夢想の発句として鈴木が七七を付ける。さらに九八句を続け、それぞれ百韻としたいが、西鶴でもあるまいし、略した。(中略)

  見殺しや泳ぎてたどる朝の虹

    真草行の真をもてゆく

 『水月伝』は、「終わるということ」への問いかけだ。虹はどうして消えたのか、天皇は何故神であることをやめたのか、苦しみはどうすればなくなるか、自分は死んだらどうなるか、戦争は終るのか、陽はなぜ沈むのか、そういったことへの問いかけなのだ。(中略)

 大井恒行は、わたしの追悼句を詠むのだろうか。

  雪花菜(きらず)なれいささか花を葬(おく)りつつ

     ハラ召されよと徂徠先生 

 それともわたしが彼の追悼句を詠むのだろうか。

  この国をめぐる花かな尽きたる山河

    端から月をめくるこいこい 

 うつし水のない月は

 今夜かがやくことがあるだろうか


 とあった。ともあれ、本誌より、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


  両方から見えるところに立ってみる        高橋かづき

  やちまたの次のやちまた虎落笛           野口 裕

  窓からは襲ひ来るやう春光や            渡辺信明

  途中下車したので葱をもらったの         広瀬ちえみ

  総持寺の幟五色やなめくぢり           ますだかも

  歌声のぬけゆくなんぢやもんぢやの花        川村研治

  良い距離というものがある衣更          中西ひろ美

  

  銀行は休んで

    戦争は休まない

      ゴールデン・ウイーク           中内火星

  

  一声でととのふ山の香ホトトギス         安達みなみ


  以下、歌枕句会より


  能登は豪雪ゴドーを待ちながら         安部いろん

  外ヶ浜(そとがはま)ところどころの枝の数    松本光雄

  蝦夷(えぞ)の夏滅びし者の列に着く       瀬間文乃

  げっぷが中華料理屋で壇ノ浦           中内火星

  懲りずまの浦に出でなばいででいでで       鈴木純一

  こもりぬの急に波立つ実朝忌          ますだかも

  筑波嶺の淵を見たさの裸の木          中西ひろ美

  真間の井にふる雪かなし葛飾は          大井恒行


 

         撮影・鈴木純一「年寄りに荷物が増える残暑かな」↑

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