矢島渚男「緑蔭に余命をはかりゐたりけり」(「梟」9月号)・・
「梟」9月号(発行・矢島渚男)、本誌本号に國清辰也が「現代俳句を読む(九十二)」で、愚生の『水月伝』を評してくれている。見開き2ページのスペースを割いていただいている。おそらく、あまたの俳句結社誌での『水月伝』評では、精緻さといい、質量ともに初めてかも知れない。有難うございます。少し、引用、紹介させていただきたい。その中に、
(前略)洗われし軍服はみな征きたがる
死というは皆仰向けに夏の兵
強靭な精神を思わせる響きが印象的である。憂うるこころが直截に伝わってくる。軍服の句には、大井恒行がかつて投句していた『渦』の主宰 赤尾兜子の作品「ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥」『虚像』の面影を見る思いがする。(中略)
セシウムと赤黄男の落葉 切株に
本歌取りの句であり、新興俳句のアンソロジーのような面白さがある。中七は「爛々と虎の眼に降る落葉 富澤赤黄男」を踏まえており、冬に生きる虎の孤心と矜持が暗示されている。座五は空襲が始まろうとする不安の中で詠まれた「切株に 人語は遠くなりにけり 同」を踏まえており、東日本大震災に起因した原発事故によりセシウムに汚染された地域の惨憺たる状況が暗示されている。さらに「切株があり愚直の斧があり 佐藤鬼房」を踏まえて読んでみると、セシウム汚染に直面している冬の時代を愚直に生きる日本人の孤心と矜持を形象化した作品と言えるであろう。(中略)
くるぶしを上げて見えざる春を踏む
眼前の春を幻想的に捉えた空虚感や退廃的な気分が主題である。「見えざる春」は大井恒行が理想とする平和で明るい社会の晵喩でもあり、戦争が絶えない世界を憂いている。「軍の影鯛焼きしぐれてゆくごとし 赤尾兜子」『歳華集』を遠望しているのかもしれない。
とあった。 ともあれ、本号より、愚生好みにいくつかの句を挙げておきたい。
一つ葉に雨降つてゐる忌日かな 原 雅子
ねこじやらし悲しみの種零しゐる 森田美智子
寒山拾得筆と箒を立て涼し 岡本紗矢
大亀を吊るし焼く奇祭
燃えつきし大亀帰す秋の川 廣渡 好
森は甕蝦夷春蟬を響かせり 鈴木アツ子
鳴き止みし蝉に見られて水を飲む 小田允夜
ツユムシに生まれ文士に愛さるる 小川真理子
冷房に悪所のごとく入り浸る 高橋雄三
カウンターテナーのアリア合歓の花 國清辰也
飛び入りの男なかなか踊りけり 岸田雨童
だちやかんナァーと手を貸す生身魂 金子苗子
マリンバの音コロコロと日の盛り 山田 榧
漣のしはしは消ゆる真菰かな 野中廣司
颱風裡天気病とて不整脈 須賀 薊
偲ぶとは悲しき言葉盆の月 下井智津子
麦藁帽子戦闘帽となるまじく 中丸 凉
声見ゆる高さにミンミン蟬の声 矢島昭子
★閑話休題・・「忘勿石 ハテルマ シキナ」(大野芳野写真集『戦争は終っても終わらない』)・・
大野芳野写真集『戦争は終っても終わらない』(藤原書店)、その冒頭の「不屈の人びと―ーはしがきにかえて」の中に、
戦争は終っても終わらない。そのような人たちが大勢いる。それでも、日々、何の変哲もない当たり前の暮らしを重ねる。にこやかで穏やかな一人ひとりだけれど、話を聞くうちに表情はにわかに曇り出す。いけないことを聞いたのかと謝ると、「いえ、伝えてください。私たちんのように戦争に巻き込まれる社会に二度とならないために」と逆になだめられ励まされる。何と心強い心根を持っているのだろうか。(中略)
けれど、戦争という極限状態の体験は、生涯にわたって抜けることがない記憶となって痛めつける。日本人やアジア人ばかりではなく、ナチスの強制収容所から生還した人たちにも同じような体験を聞いた。日々の喜怒哀楽があるだろうけれど、人びとは、「戦争ほどの不幸はない」という気持ちを人生の大半にあたる長きにわたって常にいだき続けながら生きてきた。写真のなかの一人ひとりに自分を重ねながらページをめくっていただければうれしい。
とあった。
大石芳野(おおいし・よしの) 1944年、東京都生まれ。
撮影・芽夢野うのき「曼殊沙華その端あたり魂遊び」↑
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