大竹多可志「守らねばならぬものあり百日草」(「かびれ」9月号・休刊号)・・


 「かびれ」9月号・休刊号(かびれ発行所・加毘礼社)、中に、かびれ社 大竹多可志「俳誌「かびれ」休刊について」がある。それには、


 俳誌「かびれ」は第九十四巻・通巻一一一五号)令和六年九月号を以て休刊することに致しました。

 思いますと、昭和六年三月に、大竹孤悠が茨城県日立市で創刊した「かびれ」は戦中戦後の混乱期を乗り越えて、昭和五十五年に小松崎爽青、平成十三年に大竹多可志が、「かびれ」主宰を継承し、現在に至っております。この度、諸般の事情により、かびれ同信の皆さまには、かびれ終刊の旨申し上げました。しかし、終刊とせず休刊にして欲しいとの意見があり、期限未定の休刊とすることに致しました。心の拠り所を無くさないでほしいとのご意見もいただきました。

 「かびれ」休刊後も、俳句を続けたいという多くの同信と共に、私も生涯を通し俳句を続けたいと思っております。句会、吟行などにお声を掛けて戴ければ、そちらに出掛けて皆さまと一緒に俳句を楽しみたいと思っております。

 俳誌「かびれ」には、(中略)これらを実践する「社会人として、己の責務生活に真摯に生きその生き様の中から湧き上った詩的情感を俳句に詠む」という孤悠の唱導した「生活即俳句道」の生活信条があります。これらの俳句思想は「かびれ」の生命です。俳句の道標として「かびれ季感詩俳句」を探究し続けて参りたいと思っております。

   秋晴や求むる道の杳かなり     多可志


  とあった。ともあれ、「『かびれ』休刊特集/かびれ俳句作品/私の十二句」から、以下にいくつか挙げておきたい。


  年の夜や紙の差もなき運不運        大竹多可志  

  身ほとりに聖書と季寄せ去年今年      石川美和子

  あやとりの指の記憶や春の雪         岸井まゆ

  ほととぎす恋の付句を急かせさるる     大山とし子

  フクシマの子らを泣かすな一茶の忌      岡 久子

  書塾の灯消して一人や雪降れり        小西敬子

  菜の花を抜けてこの世の暗きこと       小山 孝

  光陰は早さのたとへ虫時雨          斎藤 政

  この国に表と裏や黄砂くる         佐々木リサ

  聖五月汗をにじませ少女来る        柴田美枝子

  たふとしや先師の眠る花の山         助川孝子

  白鳥や父はシベリア帰還兵         早田維紀子

  秋思ふと紙人形の息遣ひ           富成千花

  野火を見し眼の芯あつき日暮かな       羽場桂子

  山城にかかる雲あり麦の秋         播磨眞津代

  イプセンもノラも杳けし久女の忌       水野公子

  青瓢面白がれば面白し            山形保紀



  撮影・鈴木純一「秋ですよ 誰かいますか? いないけど」↑

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