古田嘉彦「形が無いのがうれしい木も燃え上がる」(「LOTUS」第53号)・・


 「LOTUS」第53号(LOTUSの会)、特集は、古田嘉彦句集『移動式の平野』評。巻頭随筆の古田嘉彦「書くこと」には、


(前略)人は愛と責任という束縛を求め、そこではそれ以外の自由を拒否する。そこでは書くことはたとえば終わることの無い手紙、あるいは生死を超えた、やはり終わることの無い信徒の告白になるだろう。(私は今なお反宇宙の言葉に身を潜めていると言わねばならないのだが。)


 とある。特集の論考は、江田浩司「抽象の直接性ー『移動式の平野』を読む。」、未補「みなしごになるということー「移動式の平野」句集評ー」、斎藤秀雄「テクスト、坑人間的なものー古田嘉彦『移動式の平野』句集評」、高橋比呂子「第二の素面ー古田嘉彦句集『移動式の平野』評。その他は、各同人による一句鑑賞。その鑑賞で、九堂夜想は、


思惟はすぐに時計の時刻、出会う外的世界へと超越してしまう。しかしこの古田というやつに閉じ込められた、なまの、堕罪した、そしてそいつが自分が持っていると妄想しているー時があり、おそらくその死によって始まるー命の時ーがある。

半分鳥になりかけの少年を追う

 古田作品の魅力のひとつに詞書と俳句の主客転倒ということがある。掲句はその好例で、そうしたアンバランスを面白がるのも我ながら倒錯しているが、詞書に珍しく作者の名前が刻まれ古田の内面を垣間見るようで興味深い。(中略)ここから察するに古田は「詩を恐れている」という詩を書いていることに自覚的だ。無論、彼の詩業と信仰の相関を考えるとき「詩」は即「神」に入れ替わるだろう。


 とあった。ともあれ、以下に、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。


  掌のなかの息に眺めるクリスマス      表健太郎

  唄いつつ雲雀は天の殺青を         九堂夜想

  わたくしも人に容れてと子狐が       小野初江

  ゆきおうておちくるもののゆきなるや    熊谷陽一

  遠ざかる鳥の明るいいつかの小火      三枝桂子

  

  歳入りて

  月下は

  月の埃とぞ               酒巻英一郎


  大欅卑怯なまでに打てば鳴り        志賀 康

  藤万句はるかに生駒山霞み         曽根 毅

  きのくにのくまのあめよりやたがらす   高橋比呂子

   滝 水の落下にある嫉妬、自己処罰。

  傷癒そうと白熱電球に寄っていく      古田嘉彦 

  あなたから印度りんごの箱の籾       松本光雄

  来ないので前の犀から木々育つ       無時空映

  ひるがほやほのかに四天くづほるる     丑丸敬史


  びろーどの

   鬱

    うつしあふくちびる           奥山人



  撮影・芽夢野うのき「国家よりはらから大事ケサランパサラン」↑

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