暮田真名「良い寿司は関節がよく曲がるんだ」(「川柳スパイラル」第21号より)・・
「川柳スパイラル」第21号(編集発行人・小池正博)、「編集後記」の中に、
(前略)本号の特集は「現代川柳Q&A」とした。ベテラン川柳人にとっては既知のことばかりかも知れないが、川柳をはじめて日の浅い読者のために現代川柳史の視点も居れて編集してみた。「天馬」などの川柳誌を再掲載したので、現代川柳創成期の雰囲気が少しでも伝わればと思う。
とあった。それは「【資料1】川柳誌再録/現代川柳は如何にあるべきか(「天馬」2号、一九五七年二月)」座談会〈出席者、松本芳味・山村祐・金森冬起夫・堀豊次・上田枯粒・宮田あきら・墨作二郎・河野春三)の抄録である。愚生は、墨作二郎にはお会いしたことがある。川柳誌も送っていただいたことがある。川柳に無智な愚生には、目からウロコの感じだった。ここでは、渡辺隆夫「〇なんでもありの五七五」から、さらに抄録させていただく。
「川柳とは何ぞやと問われたとき、私は、『なんでもありの五七五』と答えることにしている。いささか投げやりに聞こえるかもしれないが、冷静に現在の川柳を観察すると、これは川柳の最大公約数だと思う。何でもありだから、当然、俳句を含む。俳句が五七五を守るかぎり、それにどんな条件(季語も文語も切れも詩性も)をつけても、つけなくても、丸ごと機械的に俳句を包み込んでしまう。(中略)また、俳句と川柳にもし境界があるとしても、それはなんでもありの大風呂敷の中で、ゆっくり考えればよい。川柳人にとっては、俳句も身の内であるというところがミソである。川柳人たるものは。現代俳句の何たるかくらいはわかっていないと困るのである」
(初出「川柳杜人」176号、1997年『セレクション柳人・渡辺隆夫集』に収録)
これでは、まるで、「俳句は何でもありの五・七・五」と言っている愚生と一緒だ。「川柳」の部分を「俳句」に変換すればよい。ともあて、以下に、本誌の同人作品を挙げておきたい。
八掛けで売る戦闘機かいもなく 湊 圭伍
マシンガン・トークで恋の種字を消す 小池正博
くちびるの残像 耳たぶの忘却 浪越靖政
大根を炊くわたしにも願いごと 畑 美樹
ふらここはいつも今こことして揺れ 飯島章友
羊羹に寂の時間が降り積もる 悠とし子
呪術師の布が這いつくばっている 兵頭全郎
善と悪さしみこんにゃく切れており 川合大祐
上空にあしたのカモメ貼り付ける 清水かおり
撮影・中西ひろ美「そこにあるものに出合いて旅の空」↑
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