坂田晃一「朧より来てはおぼろへ軍用機」(『耳輪鳴る』)・・


 坂田晃一第一句集『耳輪鳴る』(ふらんす堂)、懇切な序は対馬康子、その中に、


 (前略)「麦」に掲載した作者の文章に、俳句を始めて間もない一九九八年ころ、河原枇杷男の〈誰かまた銀河に溺るる一悲鳴〉に出会い衝撃を受けたとあります。

 「未来への漠然とした不安を抱いていた」とき、夜空の星々のかなたから悲鳴が聞こえてきた。悲鳴の主は自分かもしれないし、明日はまた別の人かも知れない。「悲鳴は個人的な嘆きを超えて永遠に続く」。そしてこの「大きな詩的空間の広がりの中に自分のちっぽけな不安など消えていく」のを感じたのだと。

 枇杷男の句に悠久なる時間の河に溺れるような悲鳴を聞いた作者。見えないものによって癒され、見えないものが現実を受け止める力となっていく。それが俳句という詩との出会いだったのです。〈中略)

   耳輪鳴る海亀海へ帰るとき  

 海亀が夜の砂浜に産卵して静かに海に帰って行く。真夜中の波音を背に涙して卵を産む海亀。そのしんとした神聖な時間を私も徳島日和佐の海岸に見に行ったことがあります。(中略)神の証の耳輪の音がシャランと響いたその瞬間、日本人の遥かな時空とふるさと四国の海の景が一つにつながり晃一俳句の原郷となっていく。


 とあった。そして、著者「あとがき」には、


(前略)今回句集に編んだ句は、大半が「未来図」、「磁石」時代に作った句である。しかし、二十五年あまりという月日は長く、その間に、鍵和田秞子、黒田杏子と相次いで師を失ってしまった。心残りは、ずっと私を見守ってくれていたであろうお二人の師に句集をお見せできなかったことである。

 現在所属している「麦」の対馬康子会長とは、母校の高松高校の先輩、後輩というご縁で、高校の卒業生で始めた句会で毎月お世話になっていた。これももう一五〇回を超えて続いており、その間、対馬会長(句会では康子先生と呼ばせてもらっている。)にはご多忙の中ずっと選をいただいており、私をはじめ句会参加者には大きな励みになっている。


 と記されている。ともあれ、愚性好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


  献花する海のしづけさみちのく忌       晃一

  葱坊主塔は千年立たされて

  雲雀啼く空のどこかにピンホール

  予報士の予報せし空虹生れぬ

  太古より空は動かず青あらし

  月徐々に痩せて高みに獺祭忌

  東京や檸檬に生るる青き影

  ふくろふに聞かれぬやうに手話つむぐ

  空を降りきたりこの世に雪うさぎ

  菜の花やをとこばかりが蒸発し

  空蝉の濡れてゐる朝泣きゐしや

  俘虜たりしことは告げざり鵙の贄

  神輿揉む蝶の祭りとぶつかつて

  写真みな生前の顔夏館

  未来なほまばゆきころの霜焼よ


 坂田晃一(さかた・こういち) 1956年、香川県生まれ。

  


     撮影・鈴木純一「くちなしの白は咎よと言ひたてて」↑

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