山﨑加津子「何があったのだろう虹が消えない」(『時の水辺に』)・・
山﨑加津子第一句集『時の水辺に』(現代俳句協会)、序は、山﨑十生「そして一年」、その中に、
(前略)「紫」では、編集部員、会計、行事部と活躍されていた。二〇二二年に開催された彩の国ベガ俳句大会では
万緑や産湯の嬰を裏返す
の作品で埼玉県知事賞に輝いた。「紫」への入会の切っ掛けが、ベガ俳句大会で、そのベガ俳句大会の締め括りの翌年に「紫」を退かれた。ベガ俳句大会は不思議な縁と言えば不思議な縁である。二〇二三年は考えるところがあり「紫」を離れて自由に俳句活動をされることになった。私にすれば、片腕をもがれたようで辛い思いであった。その年私も審査員を務めている第五十四回埼玉文学賞の俳句部門で準賞の栄に浴された。埼玉文学賞二度目の受賞である。「そして」の章題ではないが、そして一年が経ち序文を書くことになった。
とある。また、著者「あとがき」には、
(前略)重ねて二〇二三年は、私にとってのターニングポイントとなった。「紫」を離れる道を選んだのだ。毎月の句座で必ず会える方々との時の積み重ねは、紛れもない事実であり、財産であると強く感じ入って入るこの頃である。退会にも拘わらず過分なる序文を頂いた山﨑十生主宰、よちよち歩きの俳句の道を、手を携えて導いて頂いた「紫」の方々、深い感謝と共に懐かしく思い出される。これからも「紫」の一員であった事実を誇りに俳句を手放すことはないだろう。それは日々の哀歓を十七音の象徴詩にしていく作業を知ったからだ。そのプロセスの先に辿りつくための歯痒い時間が、私は一番好きなのかもしれない。
とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。
はつなつの肩より上で手を叩く 加津子
抱きぐせを赦してしまう緑雨かな
原爆忌ピアスの孔から見えるもの
人体の窪みは温し風邪ごころ
妹より先に生まれて滴りぬ
敗戦日どこをほっても土は土
天高し象に重たき鼻と夢
やっかいな乳房を浮かす柚子明り
七十億片のジグソーパズル春よ来い
満月を洗ったあとの手がきれい
洗っても落ちない目鼻雁渡し
木犀やどの部屋に居てもひとり
やわらかく背鰭をはずす無月かな
小春の日いつでも空けておく両手
山﨑加津子(やまざき・かつこ) 1947年、埼玉県生まれ。
撮影・芽夢野うのき「幸いや桔梗竜胆に雨ふる日」↑
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