春日井建「獵の舟黒き湖上に灯を垂らす」(『春日井建論ー詩と短歌について』より)・・


  彦坂美喜子著『春日井建論ー詩と短歌について」(短歌研究社)、その帯に、


 残された九歌集とこれまで論じられることの少なかった詩作品を繙き、

 新たな側面からその言葉の世界に光を当てる

 師との出会いから四十余年、没後の二十年を機に刊行

 春日井建の言語表現者としての思想に迫る/その言葉の世界と思想


 とある。そして、著者「あとがき」の中に、


 (前略)歌の別れから再び歌の世界に戻ったときから、建の表現の思想は、プルーストの〈虚構の自伝〉という方法へ向けられていたと考えてもいいのではないか。そう考えれば、春日井建の晩年、身辺に近いところで発想されている作品も決して事実そのままではない、造型された世界として理解されるのではなかろうか。プルーストが時を追い続けたように、春日井建もまた時を求めて、自分の過ぎ去った時間を素材に、自我の再創造を構築しようとしたのではないか、と。


 とあった。ブログタイトルにした句は、春日井建高校三年生のとき、「裸樹」第二号に掲載された「モザイク」と題された15句のなかのもの。他に、


  指白く妊婦凍土の墓濡らす      

  鉄路より昇りて宙で花火散る

  祭笛泥酔の父の貧あらた


 などがある。詩篇についての紹介、批評は本書中のほぼ半分を占める。労作である。詩篇について、


   9「国鉄旅路」創刊号と終刊号の詩

  春日井建には、一九六八(昭和四十三)年一月に発行された「国鉄旅路」(国鉄・現JRの月刊㏚誌、名古屋鉄道管理局旅客課編集/国鉄旅路の会発行)に、創刊号より一九八八(昭和六十三)年の終刊号まで、二十一年間、掲載された詩作品と、一九九三年(平成五)年四月から二〇〇二(平成十四)年三月まで「いきいき中部」(建設省・現国土交通省の中部地方建設局PR誌)の巻頭に掲載された詩作品が存在する。これらの作品は、雑誌の企画や特集によって、写真とのコラボレーションという形であった。二つの雑誌の詩作品を合わせると三百五十篇近くの詩が書かれている。詩集『風景』(人間社)が発行されたのは、春日井建没後十年の二〇一四「平成二十六)年五月二十二日。著作権者である森久仁子氏の意向意によるものである。


 と記されている。ともあれ、本書より、春日井建の短歌を、以下にいくつかあげておこう。


 受胎の日未生の我が持ちし熱保ちきて肉のわななき深し

 大空の斬首ののちのしずもりか没(い)ちし日輪がのこすむらさき

 追儺すと囃しにぎはふ鬼祭この世ならねばなべて追はれつ

 海つばめ膨らむ潮にのまれんと常世(とこよ)の青くぐるべく

 われもまた工人として詩を書かな死なざりし悔に雪降る無閒(むげん)

 わが前の視野のかぎりの水の蔵ことばを収めただ鎮もれり

 エロスーーその弟的なる肉感のいつまでも地上にわれをとどめよ

 寒気も雪も天の応(いら)へと思ほえず逝きにしものはとはなる非在

 被支配と支配との構図そのときもけふも変らずアラブを覆ふ

 昼かげろふゆらゆら揺るる日向にて今年も会はむ咲(えま)へる花に

 愛は死と同心円とぞしかすがに日光月光ひとしくそそぐ


 彦坂美喜子(ひこさか・みきこ) 1947年、愛知県生まれ。


 

    撮影・芽夢野うのき「神の手が摘みゆく月下の白木槿」↑

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