神野紗希「起立礼着席青葉風過ぎた」(「月のしずく」より)・・
「 きのこと発酵文化 ニュースレター/スーパーきのこ時代の地球を考える『月のしずく』」第52号(シュールなきのこ探検クラブ なつきじろう)。「カエンタケ土器」、「第一回茸幻想展/2024年6・16(日)~6/30(日) 芦屋月光百貨店」などの記事に混じって、米岡隆文「続・俳句の形而上学(Ⅰ)」がある。その中に、
(前略)五七音だけが定型なのではない。四六音もまた定型なのである。筑紫氏の同書(愚生注:『定型詩学の原理』ふらんす堂)の410頁には琉球歌謡で、8・8・8・6音構成の琉歌についても考察されている。ここに至って私たちは定型とは音数律の数ことではなく、ある音の反復(繰り返し)であることに気付かされる。これがリズムなのである。翻訳家で英文学者の別宮貞徳氏が短歌や俳句が4拍子の音楽だと発見した『日本語のリズムー4拍子文学論』(講談社現代新書1977、ちくま学芸文庫2005)と通じて来る。(中略)
21世紀の今、俳句の韻律は五七五十七音数律をはみ出そうとしている。それは初句から句またがりで中句へ至り中間で切れて中句から下句へという技法である。それは次のような八音九音あるい九音八音計十七音数律中間切れ俳句である。
こがね打ちのべしかからすみ炙るべし 小澤 實
佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり 櫂未知子
てぬぐひの如く大きく花菖蒲 岸本尚毅
はんざきの水に二階のありにけり 生駒大祐
神野紗希起立礼青葉風過ぎた 神野紗希
つまみたる夏蝶トランプの厚さ 髙柳克弘
これらは新たに俳句の中に上句と下句という分離を生むことになる。短歌が上句下句と分離した中から俳句が表れたのにその俳句がまた分離する。そこから、どの様な詩歌形式が表れるのであろうか。それとも、これは究極の詩歌あるいは俳句の終りをを示しているのかもしれない。
とあった。
★閑話休題・・・高野芳一「『引越しました』迎え火を焚くシンクかな」(「きすげ句会」第31回・於:府中市生涯学習センター)・・
本日、7月18日(木)は、「きすげ句会」第31回(於・府中市生涯学習センター)だった。兼題は「雲」。以下に一人一句を挙げておこう。
ザリガニの墓となりしや古き箸 高野芳一
トロッコの踏切わたり雲の峰 井上治男
腹喰はれクワガタの首コロリ在り 濱 筆治
空振りに老いを確かめ汗ひきぬ 寺地千穂
ひとりぼっち螢みに行く下駄の音 久保田和代
雲の峰赤帽の騎手青き芝 杦森松一
夏雲や交番のサザエさんとおまわりサン 山川桂子
甘いね雲になりたかった綿菓子 井谷泰彦
施餓鬼会や経文清(すが)し僧の袈裟 清水正之
空手舞うホタル怖いと泣いた子が 井上芳子
白い鸚鵡ときに赤子の声を出す 大井恒行
次回は、8月29日(木)(於:府中市生涯学習センター)、兼題は「虫」。
撮影・中西ひろ美「筆名は番地要らずやミントティー」↑
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