山頭火「分入つても分入つても青い山」(「自由律の風」6号より)・・


 「自由律の風」6号(自由律俳句協会機関誌)、佐瀬風井梧「巻頭言」の中に、


(前略)一昨年、自由律俳句大賞を企画し、今年はそれを実行に移す段階となりました。俳句は日本発の短詩型文学です。江戸時代以降、俳句はその時代にふさわしい短詩の形態をたえず模索してきました。(中略)定型律俳句であれ、自由律俳句であれ、句作者は個々の身に添う句のリズム。井泉水の言う「「一人一境」の俳句のリズムの形の器、を自由に選べばよいと思います。


 とあった。記事中の特別寄稿に高松霞「自由律連句」、小池正博「自由律川柳小史」がある。小池正博は、


 山頭火の『其中日記』をときどき読んでいるが、昭和十一年十二月十六日のところに俳句と川柳の違いについて書かれているのに気づいた。「新俳句と新川柳とを劃する一線は、前者が飽くまで具象的表現を要求するに反し、後者は抽象的叙述を許容する。言ひ換へれば、観念を観念として表白しても川柳にはなる、断じて俳句にはならない」

 山頭火による柳俳についての認識である。


 と記している。ともあれ、本誌中より、平林吉明「『自由律の泉』⓱~⓳から」の孫引きになるが、いくつかの句を挙げておこう。


  隙間風届く喪中葉書               野谷真治

  いっぱい笑った今日自転車は月の光を浴びていた  井尾良子

  立春大吉きのうの遺書を書き換える       平岡久美子

  モニターに呟く医師の若い背中          富永鳩山

  煩悩ですか いや引越し荷物です       金澤ひろあき

  月明かり 梅の白浮く              大岳次郎

  本のカバーはクラシカルな包み紙        佐川智英実

  父もいない母もいない 夕立           部屋慈音

  先生おりてきたはつ夏のターミナル      さいとうこう

  句読点にこめられた吐息を読んでいる       久光良一

  束ねた髪の後悔はしない             篠原紀子

  色々とあり老友の呟き葉書を埋め尽くす    白松いちろう

  どろんどろん秋の光の中へどろん         黒瀬文子



     撮影・中西ひろ美「良い距離というものがある夏衣」↑

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