小川軽舟「勾玉を胸乳(むなち)に垂らす穀雨かな」(「鷹」7月号・60周年記念号)・・


 「鷹」令和6年7月号・60周年記念号(鷹俳句会)、「鷹60周年記念対談」は水原紫苑・小川軽舟「師と生きる」。本号の全体の基調は「俳人が第一句集を受け止めて成熟していくかをテーマに据えた」(髙柳克弘)とある。従って、小川軽舟第一句集『近所』と奥坂まや第一句集『列柱』は、ほぼ全句が採録されている。編集後記に小川軽舟は、


(前略)主宰を務めたのは、藤田湘子が平成十七年までの四十一年、私がその後の十九年である。(中略)私のサラリーマンと俳人の二重生活も新幹線のおかげで成り立っている。

 「鷹」も新幹線のように、進化を続けながら、丈夫で長持ちする結社でありたい。時代が俳句結社に求めるものをしっかり担っていきたいと思う。


 と記している。まず、対談の中でお互いが示された作品を三作品ずつ挙げておこう。


 ヴェトナムの少年とおもはれし愉しさやセーヌ左岸に着物探すに   水原紫苑

 ふらんすの身體に泌むカトリックふれなむとして黄なるてのひら    〃

 革ジャンパー椅子に掛けつつ失ふもの無きわれとなる鐘の音ひびく   〃

  人の顔みな百合めきぬ終電車          小川軽舟

  水彩に下書の透く五月かな            〃

  空映す広さが湖水ほととぎす           〃


 また、60周年記念座談会は、高野ムツオ・今井聖・鴇田智哉・奥坂まや「私にとっての第一句集」。各人が第一句集をめぐる思い出、師とのエピソードなどを交えて、本音が語られ、興味深かった。ともあれ、本号より、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


  湘子忌や咲くも芽咲くも挙るもの     布施伊夜子

  ポプラ並木の高空の鷹矢の如し      細谷ふみを

  まなぶたを閉ぢても大河夏の蝶       岩永佐保

  大木の古巣や真夜は星宿る         奥坂まや

  蜥蜴の尾切れて浮き浮きしてゐたる     加藤静夫

  町騒に潮騒恋ふる五月かな         永島靖子

  独裁の国の玩具屋春の星          髙柳克弘

  国分寺址たんぽぽは丈なさず       大石香代子

  海市より戻りて靴を洗ひけり        辻内京子

  反橋の向かう落花に透る母         竹岡一郎

  根は地下の冥より知らず五月の樹      有澤榠櫨

  通過駅はつと明るし夜の秋        黒澤あき緒

  たそがれの春田を駱駝行くごとし      南十二国 

  彼我酔余蹣跚(まんさん)春を逝かしめつ 山地春眠子



小川軽舟主宰↑

★閑話休題・・「鷹」創刊六十周年記念祝賀会(於:京王プラザホテル)・・

                  高橋睦郎↑
                 高野ムツオ↑
                  池田澄子↑
                  西村和子↑
                 中原道夫↑
                 星野高士↑

                岸本尚毅↑

  本日、6月29日(土)午後5時より、「鷹」60周年記念祝賀会(於:京王プラザホテル)だった。司会は川原風人・大西朋。小川軽舟主宰挨拶のあと、高橋睦郎の詩の朗読、乾杯は高野ムツオ、来賓挨拶は池田澄子・西村和子・中原道夫・星野高士・岸本尚毅と続いた。愚生のテーブルは左隣に仁平勝、右隣は西山睦、久しぶりに仁平勝と色々の話ができた。対面には岩城久治、その隣に坂本宮尾、奥坂まや、親しい人ばかりに囲まれた。筑紫磐井とは帰り際に「豈」次号についての立ち話をした。その他、「鷹」の知り合いの方とも会えた。閉会の挨拶は、岩永佐保。

  ただ、愚生にとっては、つい先日に急逝した竹岡一郎に、今日は再会できると思っていたことである。今後も「鷹」を担っていく俳人の一人であったと思うと残念きわまりない。

 ともあれ、祝賀会の写真をいくつか添えておきたい(上掲)。



     撮影・芽夢野うのき「準備万端みどりは風にそよぐ癖」↑

コメント

このブログの人気の投稿

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

秦夕美「また雪の闇へくり出す言葉かな」(第4次「豈」通巻67号より)・・

山本掌(原著には、堀本吟とある)「右手に虚無左手に傷痕花ミモザ」(『俳句の興趣 写実を超えた世界へ』より)・・