田中信行「オキナワの昭和平成令和夏」(『プリムローズの丘』)・・


  田中信行第1句集『プリムローズの丘』(私家版)、序の高橋将夫「序にかえて」には、


 田中信行氏は日本経済新聞社を経て、テレビ大阪の社長、会長を歴任される傍ら、現在に至るまで槐俳句会の同人会長を務めていただいている。そんな多忙な毎日の中で詠まれた句を編纂されたのがこの第一句集『プリムローズの丘』。


 とあり、著者「あとがき」には、


 私には日記をつける習慣がない。だからというわけではないが、俳句を始めてから俳句が日記代わりとなった。(中略)

 俳句を始めて自分にはそれほどの才能がないことを思い知ったが、今回句集を出そうと考えたのは私の社会人人生の一区切りがついたからである。(中略)ただ、日記なら人に見せることなく、自分でせっせと詠んでいればいいのだが、句集を出すととなるとそれは日記ではなく手紙になる。


 とあった。そして、各章の終りに、エッセイが付されている。集名ともなった「プリムローズの丘」の中に、


 (前略)失意の中で私は大阪。枚方市で開かれていた槐傘下のようかん句会のメンバーとなった。見様見真似で句づくりを始めたころ、プリムローズヒルを走り回っていたチビの姿を思い、〈その先はプリムローズの丘にあり〉と詠んだ。句会で披露したところ、私の個人的な事情など知る由もない中島陽華先生から「プリムローズという言葉に作者の強い思い入れが感じられる」とほめて頂いた。うれしかった。十七文字の中に込めた思いが人に伝わるんだと俳句の力を思い知った。私を俳句へ導いてくれたのはチビであり、プリムローズの丘であったと思う。


 とあった。「チビ」は愛犬の名である。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するがいくつかの句をあげておこう。


  笑うてる渥美清に似た金魚           信行

  梅雨晴れや「さらばである」と義父の遺書

  白鳥に黒鳥の艶なかりけり

  ロザリオを握る手の皺原爆忌

  (悼 ネルソン・マンデラ)

  巨星墜ち虹色の国冴え返る

  四ッ谷発新宿発の虹かかる

  不器用が器用に生きて冬銀河

  生き証人黙して逝けり沖縄忌

  短夜やラフマニノフのやや重し

  桜餅買ふもソーシャルディスタンス

  (悼中村哲医師)

  アフガンに捧げし誠冬銀河

  凍縄に動かぬ意思のありにけり

  瓦礫には青黄の小旗キーウ春

  猛暑とかウクライナとかコロナとか

  国境の河の北でも山笑ふ

  入梅や週刊朝日最終号

  

 田中信行(たなか・のぶゆき) 1955年、京都市生まれ。



       撮影・鈴木純一「薬にも毒にもならず古来稀れ」↑

コメント

このブログの人気の投稿

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

救仁郷由美子「遠逝を生きて今此処大花野」(「豈」66号より)・・

小川双々子「風や えりえり らま さばくたに 菫」(『小川双々子100句』より)・・