北園克衛「日ぐるまのゆらりと籬にとどきけり」(『詩のある俳句』より)・・


 嶋岡晨『詩のある俳句』(飯塚書店)、その巻頭の「詩のある俳句ー今日のモダニズム俳句のすすめ」の結びには、


(前略) 身を責める夢木枯(こがらし)に吊(つら)るさるる   石原 八束

「…‥夢は枯野(かれの)をかけめぐる」と詠んだ芭蕉に負けまいとすれば、夢を〈木枯〉の宙空に吊りさげてみるしかなかっただろう。この奇妙な工夫こそ、じつはポエジーのありなしの決め手でもあった。

 要は、いつまでもリアリズムに取り縋って、「写生」の「実相」のと言っていないで、言葉の造型の面白さ―ー非現実的、異次元的感動のたのしさを、大胆に、自在に創(つく)り出していくことに、詩の証(あかし)はあるだろう。 

 かりに《詩》のある俳句、と題したが、もともと詩人の呼称でもって俳人も一括できるはずであるから、作品に《詩》があるのは当然だろう。

 大きな広い意味での、現代の(・・・)ポエジーを、もっと活発に掘り返すこと

をすすめたい。


 とあった。また、「北園克衛と俳句(1)」には、


 北園克衛の句作前後のことば「伝統の上に気楽に寝そべつていたい」が、うやはり気になる。自他ともに認める前衛詩人がそんなことを呟き、しきりに俳句を作った事実(・・)に、わたしは注目せざるをえない。(中略)

  扶(たす)け起す菊の乱れや居を移す      北園克衛

 河出版[文人俳句集]の村山古郷解説の、「古格を守り、穏和にして豊雅、姿の正しい俳句」と言えば聞こえはいいが、全体それらしく平凡にまとまりすぎているではないか。俳句ではあっても、こっちの心臓に迫ってくるものがない。(中略)どうも古くさくて、新鮮な驚きがわかない。(中略) 

 俳句のなかに「苦しまない詩」をもとめ、さらに民族的伝統的な俳諧的詩心を介して〈郷土詩〉という一つの文学理念をひねり出してみせた北園こそ、ほとんど苦しみを知らず、「伝統の上に」というより自分自身の身がってな空想の上に、寝そべっていたのではないか。


 そして、本書の結びの「俳壇まよい道」の最後には、


 (前略)水割り片手に泳ぐパーティーめいた社交的運座よ、くたばれ。他人の票ににやにやするな。恐ろしい孤独に耐え、衆愚ポリシーを嘲笑せよ。アイサツするなら世界にむかって挨拶を。もちろん何派宗匠の。××賞の、といった肩書は無用。前口上も、類似句も、添削も、吟行も無用。ただ一句をもって〈全作品〉とせよ…‥「まだ見ぬ詩(・)」にいのちをかけてくれ。


 とあった。ともあれ、本書中から、いくつかの句を拾っておこう。


  曼殊沙華散るや赤きに耐へかねて     野見山朱鳥

  紺絣春月重く出でしかな          飯田龍太

  

  たてがみを刈り

  たてがみを刈る


  愛撫の晩年                高柳重信


  霧の村石を投(ほう)らば父母散らん    金子兜太

  花を縫ひ柩はとほく遠くゆく        高屋窓秋

  身一つふかく裂けつつ一飛燕       中村草田男

  枯れし崖とはたましひの背中かな      平井照敏

  蟬の穴といきどき神も吃るらん      河原枇杷男 

  墓碑生れ戦場つかの間に移る       石橋辰之助

  白鳥の花振り別けし春の水         横光利一



      撮影・中西ひろ美「垂乳根の青空見えて許さるる」↑

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