篠原梵「葉桜の中の無数の空さわぐ」(『篠原梵の百句』より)・・
岡田一実著『篠原梵の百句』(ふらんす堂)、巻末に「実存と思想―—篠原梵論」が収載されている。それには、
(中略)さて、「人間探求派」という内容的な側面からいったん離れ、形式的な側面における梵の特徴を見ていきたい。「石楠」で「広義の十七音」「季題がなくとも季感があればよい」などと提唱されるなか、梵も発生論的に考えた上でそれを実践した。即ち、俳句には初めから五七五というはっきりした形があったわけではない。五七五か、それに近い音数の詩形が順次でき、それが次第に純化し、やがて独立したのである。その長さの詩形に、やがて与えられた名が俳句であって、俳句の本質はその詩形だけにしかない。季語が俳句の本質だなどというのはとんでもない、というわけだ。(中略)
梵のリズムは下五の字余りに特徴がある。下五を惜しげもなく使って対象を繊細に、執拗に、具体的に描くことで、対象だけではなく鑑賞している話者の姿勢をも読者に感じさせる。
腕の腹汗ばみゐるにこだはりなく 『皿』
灯ともせば闇はただよふ寒さとなれり 〃
肩の汐ぬくくつたはり中指より落つ 〃
梵は俳句技法における「取り合わせ」に懐疑的であった。(中略)そのため、いわゆる「一物仕立て」で一気呵成に書き上げる。 この点が字余りと相俟って「散文的」と評価が分かれる点でもある。後年の作品はこれに加え、口語俳句への挑戦があり、口語自由律に傾いた。(中略)
霧の中かなりの雨の音がする 「『年々去来の花』以後」『葉桜』
むしろ、掲句のような口語的でありつつ定型的である句にこそ、晩年の境地が感じられよう。形はシンプルでありながら深い詩情が漂っている。
とあった。ともあれ、本書より、いくつか、梵の句を挙げておこう。
水底にあるわが影に潜りちかづく
東京の中よりくらくさむき東京現(あ)れたり
ぶだうの房海松(みるめ)のごとくなり皿に
鋤きし田のむらさきつよき日に乾く
しろがねの春空わたりをはりし日
雪虫の青くなりつつちかづきぬ
蚊遣香濃くしづみ来る下に臥す
影が斜めに横に斜めに独楽とまる
仰臥する左眼に満月右眼にすこし
春の夜の闇より濃ゆき山に対ふ
篠原梵(しのはら・ぼん)1910(明43)年4月15日~1975(昭50)年10月17日。享年65.
岡田一実(おかだ・かずみ)1976年、富山市生まれ。
★閑話休題・・安井仲治生誕120年「僕の大切な写真/1903ー1942」(於:東京ステーションギャラリー 2.23~4.14)・・
昨日、思い立って、愚生は、中央線一本で行けるので「安井仲治(やすい・なかじ)生誕120年/僕の大切な写真1903-1942」(於:東京ステーションギャラリー)に行った。チラシには、
日本近代写真の金字塔
日本写真史において傑出した存在として知られる安井仲治(1903~1942)の20年ぶりとなる回顧展を開催します。大正・昭和戦前期の日本の写真は、アマチュア写真家たちの旺盛な探求によって豊かな芸術表現として成熟してきました。この時期を牽引した写真家の代表格が安井仲治です。安井は38歳で没するまでの約20年という短い写歴のあいだに驚くほど多彩な仕事を発表しました。戦前日本写真界のフロントラインをひた走った安井の作品は、同時代の写真家をはじめ土門拳や森山大道など、後世に活躍した写真家・写真史家からも掛け値なしの賞賛を得ています。
20年ぶりによみがえる全貌/いま、見て知るべき、世界への感受性/僕はこんな美しいものを見たよ/どうしてもシャッターを切らねばならなかったのです。
とあった。俳人で言えば、戦前に、新興俳句の金字塔といわれた、高屋窓秋「頭の中で白い夏野となつてゐる」である。それもそのはず、安井仲治もまた「新興写真」の寵児だった。
撮影・中西ひろ美「蕾ほどの明日ある身を祝福す」↑
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