河東碧梧桐「蝶そそくさと飛ぶ田あり森は祭にや」(「現代俳句」4月号より)・・


 「現代俳句」4月号(現代俳句協会)、秋尾敏「碧梧桐小論」の中に、


 (前略)写生文は、まだ完成途上の言文一致の文体であった。なぜ子規が新しい文体を必要としたかと言えば、それまでの文語では、言い方というものがおおよそ定まっており、それでは新しい時代の新しい真実を語るのが難しかったからである。流麗な文語文では、ものごとが建前になってしまうのであった。(中略)

 写生文の写生と俳句の写生には共通点もあって。それは、言い方の定まった装飾的な文語文からの脱却ということである。俳句の場合文語の文体自体は引き継がれたのであるが、「言い方の定まった」という部分を〈月並〉として排除しようとしたのであった。(中略)

 三十七年秋からは「俳三昧」という題詠句会が始まり、翌年には俳句の新しい姿が模索されるようになって、やがてそれは新傾向俳句と呼ばれるようになる。

 明治三十九年から碧梧桐は、そうした「日本」俳句を普及するために全国行脚を開始。千葉から北上し東北に向かい、新聞「日本」に「一日一信」という記事を紙上に連載する。これは後に『三千里』(金尾文淵堂・明治四十三)にまとめられるが、(中略)記事の内容は、地域へのおべんちゃらではない。ここでも碧梧桐は、本当のことを書き続ける。(中略)

  (6)自由律俳句時代(大正五年~)

   〈五月の水の飯粒の流れ〉

   〈大きな長い坂を下り店一杯なセル地〉

 大正五年以降の句も新傾向俳句と呼ばれるが、自由律俳句と言ってしまった方が自然であろう。碧梧桐はついに切字や切れによる五七五の骨格を捨てた。また、季語についても、各地方を回って季感の多様性を経験したことから、本意本情に縛られた〈季題〉という意識を棄て、そのときどきの季感を重視する方向に進む。それもまた〈自己表現〉ということである。伝えられてきた俳句という文学形式よりも、自分自身の内面に浮かんでくる意識による言葉を重視するということである。(中略)

    おわりに

 河東碧梧桐は、近代文化史や近代思想史に位置付けられるべき人物である。単に俳句史の中にだけ置いてしまったら、その存在の大きさは見えてこない。

 まずは碧梧桐を、日本近代文学史に位置づける必要がある。碧梧桐が自然主義文学の潮流に置かれるべき人であることがすぐに見えてくる。(中略)

 新傾向俳句はしだいに衰微していったと書く俳句史は多いが、本論で見てきたように、新傾向俳句は時代とともに表現を複雑化し、またその姿を変えていくことが本質なのである。とすれば、自由律俳句も口語俳句も新興俳句も、すべてが新傾向俳句の延長線上に生まれた潮流であり、変化というものに対する碧梧桐の粘り強い姿勢がなければ、生まれ得なかったものと考えられるのである。


 とあった。 ともあれ、本誌本号にあったいくつかの句を挙げておこう。


  狼も青鹿も来よ大桜          高野ムツオ

  巨人来よ雪も瓦礫も退けくれよ      堀田季何

  ふきのとう朝いきなりの第一問      宮崎斗士

  春を待つ後ろの正面戦あり        渡邊慧七

  繰り返し咲く蒲公英坂散るつばさ     杏星杏忍

  皆を待つ皆の風船持たされて       新谷桜子

  戦争に注意 白線の内側へ        大井恒行 



★閑話休題・・江東区芭蕉記念館企画展「旧派再考~子規に『月並』といわれた俳人たち~図録」・・

 秋尾敏つながりで、江東区芭蕉記念館企画展「旧派再考~子規に『月並』といわれた俳人たち~図録」(会期 令和5年9月14日~令和6年1月21日)/協力 俳句図書館鳴弦文庫)、頒価500円。その「あとがき」に、

 

 今回、俳句図書館鳴弦文庫の所蔵する幕末・明治期の資料を、江東区芭蕉記念館が企画展示してくださることになった。有り難いことである。

 天保時代以来以降の蕉風の動向については、まだ十分に調査されているとはいいがたい。特に明治期以降のことは、正岡子規に「月並」と呼ばれ、「旧派」という範疇に入れられてから顧みられなくなってしまった。(中略)

 各俳家に関する解説は、一般の辞書類をもとにしたものなので、学術的な調査の結果ではない。言い伝えレベルの逸話も含まれているのでご注意いただきたい。この時代の俳家についてはまだ調査が行き届いているとは言い難く、今後の調査で変わってくるものもあると考えられる。俳家の写真は松村淡秋編『明治俳家の俤』(霞吟場・明治45年)より採った。(以下略)          俳句図書館鳴弦文庫官長 河合章男(秋尾 敏)


 とあった。


           鈴木純一「鳥雲に次男父より背が高く」↑

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