なかはられいこ「心音のここらで虹が消えるのだ」(「新歳時記通信」終刊号より)・・


 「新歳時記通信」終刊号(編集発行 前田霧人)、「終刊の辞」には、


 「新歳時記通信」は前号の第十二号(二〇二一年四月)で終刊のつもりでしたが、このたび一冊にまとめ上梓するのにあたり、創刊号の「新歳時記記号序説」を「新歳時記考省察」として書き直し、その結果、論考「証言・俳句キーワード」を書き、サイト「増殖する俳句キーワード辞典」を立ち上げ、二年前の講演録「子規・虚子・芭蕉」と合わせ、ここにその内容を終刊号として刊行させていただきます。何かの折にでもご笑覧いただければ幸いです。


 とあった。巻尾には、「主要文献(辞典、二十一代集、例句集など」、「主要歳時記・連歌俳論書」(2024年4月1日改訂)近世:近現代、地方・海外、結社、「和文献時代区分表」、「中国文献時代区分表」などの直接あたるべき資料編がふされている。労作である。

 本誌の最後の部分のみななるが、引用しておきたい。


(前略)芭蕉は「発句も四季のみならず、恋・旅・名所・離別等、無季の句ありたきものなり」と言い、また、「よい付句は前句を聞かなくても、それだけですでによい句である」とも言っています。

 芭蕉は虚子のように付句全てを「独立して可なり」とまでは言っていませんが、既に虚子の二百年以上前に同じようなことを言っているのです・

 仮に子規の俳句革新を四合目、虚子の俳句の方法を五合目としても、まだ「五合は残りたり」、俳句の半分はまだ分かっていないのです。

 ここで、高柳重信の登場です。重信は、俳諧の発句として俳句と命名されながら、当初より発句ならざるものを背負わされる宿命を負った俳句の出発を指して、昭和五〇年に次のように言っています。


  この作品の存在に先んじて命名されたに等しい俳句形式は、いったい俳句そのものに本当にめぐりあったことがあるのであろうか。

 現代の俳壇は、一斉に発句への回帰を行っているようである。もは誰も、まだ見ぬ俳句などにあこがれる者はいないのである。いまや、誰も彼もが、はじめから発句を目指していたかのように、しきりに発句について語りつづけている。(中略)


 ここまで長々と話をして来て、その結論が「俳句の半分はまだ分かっていない」とは、いったいお前は何を言いたいのかとおもわれるかも知れません。しかし、俳句も人生と一緒で、分からないから面白いのです。

 伝統は革新の連続であると言われます。伝統はむやみに壊すものではありませんが、革新すべき時が来れば躊躇なく革新する。それが私たちに課せられた使命なのだと思います。


 とあった。ところで、サイト「増殖する俳句キーワード辞典」で検索しても、出てこない。愚生がその技に通暁していないせいかも・・・・(残念)。どなたでもたどりついてほしい。



           鈴木純一「跳べ

                見えないものを

                見るために」↑

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