今井杏太郎「足のむくままに歩きて銀座なり」(『全国・俳枕の旅 62選』より)・・


 広渡敬雄『全国・俳枕の旅 62選』(東京四季出版)、著者「あとがき」の中に、


 (前略)二〇二一年『俳句で巡る日本の樹木50選』を上梓した折、樹木の最適地の選定に迷ったが、本書も掲載俳人の俳枕の選定には、特に心を砕き、全てこれまで自ら訪ねた地から選んだ。

 その基準として、俳人の故郷(原風景)、長らく過ごした地、転機となった開眼の一句の地、当地で最も知られた名吟で俳人がおのずと口遊む句など広範囲にわたるが、該当俳人自身や俳壇で代表句とする句である。芭蕉らは入れず、主に昭和以降の俳人から選んだ。(中略)

 本書をお読みいただき、その地(俳枕)を訪ねて立ち、その空気感、余情に浸り「ああ、この句は、こういう地で生まれ、こういう経緯があったのか!」と認識し、その俳人の本質に迫り、そのエキスと心を通わせ、実際に句を作っていただけたなら、筆者の喜びもこの上ない。

 短歌界が、詠む対象として「歌枕」名勝地にあまり目を向けなくなった現在、俳人には「俳枕」を意識してほしい。


 とあった。ここでは、愚生の句も引用していただいた「俳枕36 銀座と今井杏太郎」の部分を挙げておきたい。愚生の句「数寄屋橋さても透谷の花しぐれ」は、実は、どこに発表したか、作句したかも忘れていた。よくぞ採って下さった、という感じである。「透谷」には、もちろん、北村透谷もさりながら、「数寄屋橋」と「透谷(すきや)」が掛かっている。

 また、本書の良いところは、俳枕にかかわる現代俳人の例句が豊富なところと、その三分の二はその地に関わりのある俳人の評伝にもなっているところである。例えば、「高千穂と山頭火」「広島と西東三鬼」「池田と日野草城」「塩竈と佐藤鬼房」「秩父と金子兜太」「白川郷と能村登四郎」等々。その「銀座と今井杏太郎」の部分に、


 (前略)今井杏太郎は、一九二八年(昭和三年)千葉県船橋市に生まれ、本名昭正。一九四〇年(昭和十五年)大原テルカズに勧められて俳句を始めた。(中略)

 一九九五年(平成七年)「鶴」大会後、一九九七年(平成九年)、「魚座」を創刊主宰。仁平勝、鳥居三郎、飯田晴、鴇田智哉、茅根知子らを育てつつ「塔の会」「きさらぎ句会」「件の会」にも所属した。


 とある。ともあれ、その項目より、いくつかの句を挙げておこう。


  マリオンのい時計が鳴つて日短       今井杏太郎

  柳散る銀座に行けば逢へるなり       五所平之助

  歌舞伎座に橋々かゝり蚊喰鳥         杉原祐之

  顔見せや幕が上がれば青海波         広渡敬雄

  降る雪やここに酒売る灯をかかげ      鈴木真砂女

  雪赤く降り青く解け銀座の灯         鷹羽狩行

  手に受くる淡雪銀座四丁目          辻内京子

  先生のゐない銀座の夏柳           仁平 勝

  数寄屋橋さても透谷の花しぐれ        大井恒行

  追ひこせぬ人をうしろに風鈴屋        細谷喨々

  学び舎の正面に「春」掲ぐ春         寺沢一雄

         (泰明小学校)   

  銀座春宵小走りの足袋白し          村上鞆彦


 広渡敬雄(ひろわたり・たかお) 1951年、福島県遠賀郡岡垣町生まれ。



            虚子「遠山に日の當りたる枯野哉」↑

★閑話休題・・俳句文学館「春の俳句展」「夏の俳句展」「髙浜虚子の掛軸展示」・・


 
            石田波郷「万太郎逝きて卯花腐しかな」↑

 昨日、少し調べもののために、午後、俳句文学館に滑り込んで、コピーをしていただいた。ついでに、図書室の上の3階の展示室を覗いた。著名俳人の色紙、高浜虚子の掛軸6点、俳誌「ホトトギス」創刊号、句集などが展示されていた。因みに、今年は虚子生誕150年(明治7年・1874年生まれ)にあたるそうである。



     撮影・芽夢野うのき「父よ穴の向こうの緑が見えますか」↑

コメント

このブログの人気の投稿

救仁郷由美子「遠逝を生きて今此処大花野」(「豈」66号より)・・

小川双々子「風や えりえり らま さばくたに 菫」(『小川双々子100句』より)・・

福田淑子「本当はみんな戦(いくさ)が好きだから握り締めてる平和の二文字」(『パルティータの宙(そら)』)・・