長谷川櫂「春の水とは濡れてゐるみづのこと」(『長谷川櫂自選五〇〇句』)・・

 

『長谷川櫂自選五〇〇句』(朔出版)、その帯の惹句に、


 第一句集『古志』から/最新句集『太陽の門』まで

 長谷川櫂作品の/エッセンスを凝縮した/待望の自選句集

 長谷川櫂論:青木亮人

 俳句は世界へ開かれた文学


 とある。そして、解説・青木亮人「長谷川櫂論 黒い獣と花」の中に、


  (前略)あなたが〈淋しさの底ぬけてふる(・・・・・・・)みぞれかな〉と冬の孤心の極みを詠んだのであれば、私の方では、「悲しさの底踏み抜いて(・・・・・・・)」とやや力をこめて興を添えつつ、暑い盛りに「悲しみ」の底すらうっかり踏み抜き、放心するように眠りに落ちたと和してみましたが、いかがでしょうか。とはいえ、傍から見れば、つい昼寝をしたという日常の些事に過ぎませんが……。

 時空の彼方に佇む古人と「言葉」を通じて唱和しあい、作品同士が心を震わせる「場」としての一句。しかも、かような「場」は氏の個人的な思い出や出来事を拒まず、むしろ渾然一体となりつつ、ペーソスとユ―モアに彩られた「かるみ」として昇華されている。(中略)

 無論、これらは丈草句の本歌取りという話ではない。近現代俳句が得意とする「私」という主体のまなざしを軸に据えた句作ではなく、「私」の視点を消すことで連句の付句のように丈草句と共鳴し合う「場」を宿した表現と見るべきであり、やはり「写生」や戦後俳句が是とした時空間の感覚と異なる認識の一句といえよう。


 とあった。また、長谷川櫂エッセー「封印」の中には、


 (前略)東日本大震災を経験して学んだことは詩歌の基本姿勢である。

 まず俳句は日常生活や自然現象に留まらず、天災も戦争もこの世で起こるすべてが詠めなくてはいけない。俳句は老人の慰みではなく、大人の逃避の場でも若者の暇つぶしの玩具でもない。俳句はもっと世界に向かって開かれた文学なのだ。この道をさらに進んでゆけば、一人の人間が人生で経験する幸福も悲惨も何もかも悠々と俳句にする人間諷詠の世界へ辿り着くだろう。

 そのためには自分にかぎらず人々の思い、ことに天災や戦争で無念の死を強いられる人々、無言のまま死んでいった人々の思いを代弁(代作)することが詩歌の最初の仕事なのではないのか。考えてみれば歳時記の項目に並ぶ花も月も雪もみな言葉をもたない。無念の死者と同じである。花や月や雪を詠むということは、花や月や雪の思いを代弁することではないのか。代弁こそ詩歌の本質という問題については『俳句の誕生』(二〇一八年)に書いた。

 東日本大震災は私の俳句の視野を否応なく拡大した。『柏餅』と『沖縄』は大震災以後の俳句の世界で生まれた。一句引いておく。

   大空はきのふの虹を記憶せず      『柏餅』


 とあった。じつは愚生は、彼の初期の句で「夏の闇鶴を抱へてゆくごとく」は、第一句集に収められているものとばかり思い込んで記憶していた。本書の「『天球』抄」巻尾に、「句集未収録」とあって驚いたのだ。愚生は、いつたいどこで読んで、その句を記憶したのであろうか。ともあれ、本集より、いくつかの句を挙げておきたい。

 

  冬深し柱の中の濤の音           櫂

  大雪の岸ともりたる信濃川

  いつぽんの冬木に待たれゐたると思えへ

  古志ふかくこし大雪(たいせつ)の雪菜粥

  目を入るるとき痛からん雛の顔

  夏の闇鶴を抱へてゆくごとく

  鬼やらひ手負ひの鬼の恐ろしき

  また一人花の奈落に呑まれけり

     丸谷才一死去

  凩や旧仮名でいふさやうなら

  夏草やかつて人間たりし土

  滴りや一滴きえてまた一滴

  きのふ来てけふ初花の唐津かな

  山一つ篩(ふるい)にかけて花ふぶき

  

 長谷川櫂(かせがわ・かい) 1954年、熊本県生まれ。



         撮影・鈴木純一「露の玉もちこたえてや梅若忌」↑

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