鈴木総史「家系図に花の名いくつこどもの日」(『氷湖いま』)・・
鈴木総史第一句集『氷湖いま』(ふらんす堂)、帯の惹句は櫂未知子「序」より、
どぶろくの瓶の吹雪を飲み干しぬ
『氷湖いま』は異才を放つだろう。すなわち、地方に立脚するのみの風土詠ではなく、かといってのっぺりしたとした都市風景でのなく―ー誤解をおそれずにいえば、「洗練された風土詠」ということになる。
とある。跋文は佐藤郁良、栞文に橋本喜夫「総史もっと旅に出ようぜ」、その栞に、
(前略) しののめや凍てつきやすき場所に橋
この句も前句と同様。漠然と北海道に生活し、橋の上で車がスリップしてどれだけヒヤッとしたことか。なぜ蝦夷俳人がこれを先に詠めなかったのだ。という自分への怒りが大きい。はっとするような「気づき」があるように思う。(中略)
さてここまで書いて、すこし辛口で評してみたい。まず句集全体を読んで、「これはまずい」という駄句が一つもない。これはいいようでやはりまずい。(中略)完璧すぎて少しつまらない。そしてすべての句にレトリックが施され、平明な言葉で、季語の本意をついている。従ってすべての句が「わかりやすい」し「うまい」と感じるし「シンパシー」や「爽快感」を得ることができる。 しかし、うまいと感じる作品はつねに何かに似ていると思わねばならない。これこそが「俳」と言ってしまえばお終いだが。
「詩」とは「言葉という小舟で永遠に向かって旅に出る営み」だと思う。私は鈴木総史にただただ「うまい俳人」になって欲しくない。「永遠とつながる何か」をつねに感じさせてくれる謎と魅力ある作品を詠む超一流俳人を目指して欲しいと思う。
とあった。 そして、著者「あとがき」には、
私にとっての俳句人生の転機は、北海道へ移り住んだことだ。北海道に来てから、心にゆとりを持って俳句に取り組むことができるようになり、成長に繋がったと思う。それは、北海道と言う地のある種の包容力なのかもしれない。そんな北海道への感謝と敬意をすこしでも示したいと思い、句集名は〈氷湖いま雪のさざなみ立ちにけり〉より「氷湖いま」とした。
とあった。ともあれ、本集より愚生好みなるが、くつかの句を挙げておこう。
水澄むや山岨(やまそば)に風ゆきもどる 総史
はつ夏や手首をあをき血のながれ
衰へてよりおそろしき夕焚火
短日の家まで着かぬバスばかり
積雪や音奪はるる靴ばかり
みづうみは櫂を拒まずえごの花
なにもかも省略されて秋の浜
みづを飲む胸板薄し冬館
ためらはず踏め樏(かんじき)の一歩目は
点眼や蚊が刺しにくる耳の裏
白梅や水脈はかがやきつつ途絶え
溺るるにほどよき狭さ水中花
鈴木総史(すずき・そうし) 1996(平成8)年、東京都生まれ。
★閑話休題・・木村伊兵衛没後50年「写真に生きる」(於:東京都写真美術館~5月12日まで)・・
案内チラシには、
本展は日本の写真史に大きな足跡を残した写真家木村伊兵衛(1907ー1974)の没後50年展として、その仕事を回顧するものです。(中略)1933年に開催された「ライカによる文芸肖像家写真展」では、従来の型にはまった肖像写真ではなく、被写体の一瞬の表情の変化を捉える独自のスタイルを確立し、また1936年には初めて沖縄を訪れて生活感にあふれた日常を記録するなど、“ライカの名手“としての名を早くに馳せた。(中略)
没後50年に合わせ、本展では最近発見されたニコンサロンでの木村伊兵衛生前最後の個展「中国の旅」(1972-1973)の展示プリントを特別公開します。
とある。この特別公開の「中国の旅」のプリントには経年による色褪せがまたよい。
鈴木純一「休戦の
合意は
毒とも
薬とも 」↑
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