星野高士「春光の曲がるを知らず天の涯」(「現代俳句」5月号より)・・


 「現代俳句」5月号(現代俳句協会)、今号は、めずらしく気合の入った高野ムツオ「俳句の未来は現代俳句協会が創造する」という 巻頭エッセイ。その結びに、


(前略)現代俳句協会は何より表現の自由を標榜する団体である。有季定型も無季定型も自由律も俳句である。季題もまた重要な発想方法の一つ。文語仮名遣い、口語仮名遣い、一行、多行、分かち書き、などどの表記も表現も認め合う。日本語以外の言語による俳句もまた俳句なのだ。結社の主宰者も誌友も、無所属も同じ現代俳句協会の平等な一会員なのである。そう認めあった上で俳句を作り、同時にまた論じ合う。この言葉の饗宴にこそ俳句の魅力がある。互いに現在只今も俳句を楽しみながら、俳句をこれからの若い世代に伝えていく手立てを探るのだ。俳句の未来は現代俳句協会が創造する。


 とあり、「わたしの一句」には、この度、日本伝統俳句協会から現俳にも入会された


  春光の曲がるを知らず天の涯       星野高士


 の句があり、俳人協会からの入会者・鳥居真里子には、「百景共吟」で、兜太門の董振華と「麦秋」写真への共吟であった。新しい風である。


  かのゐもりうつりうつらと火を孕む    鳥居真里子

  麦青し雲の片々一峰に           董 振華


 他にも、宮坂静生「俳句鑑賞ことはじめ」、宮崎斗士「新現代俳句時評 『耀』ひとり同窓会」、山本敏倖「俳句と私/橋閒石から阿部完市へ」などの興味ある論が掲載されている。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を以下に挙げておこう。


  掌に蝗の力のこりけり           中村和弘

  前衛 伝統 文学に梃子摺り       川名つぎお

  汗の香のイクトゥス公衆電話透く      対馬康子

  平穏が足の小指にぶつかりぬ        宮崎斗士

  吾と妻と近影求められたれば娘の撮影一葉送りつ 宇田川寛之

  浜木綿の沖に霞みて坐す神        高山れおな

  泣き顔は認証されず秋夕焼         五島高資

  六月の森の交響楽曲の一音として落ちるヤマモモ  正岡 豊

  草の穂に風見えてきて父の書庫      水野真由美

  夏木立雪の獣の夢を見る          佐藤清美

  遠き鉄片我らの窓が冬を越す        岡田秀則

  火事を背に家庭の影が長くなる       前島篤志

  脱皮しない蛇は破滅よ地球人        萩山栄一

  主に倣うパウロに倣え梅雨最中       平田栄一

  百合の水あおくぬめって房事かな   オオヒロノリコ

  月光を変える水搔きはずしてから      袖岡華子

  はらわたを垂らして奔る蹄かな       田辺康臣

  クレヨンの家出すぐわかる虹        松澤隆春

  山河澄む蜻蛉の浮力手に包み        守谷茂泰

  問診はとんぼのように水平         山本敏倖

  またはるのさをにふくらむこゑはみづ    池田宏睦

  飛魚に与へよ吾の紅は           田中泥炭

  どったりと一歩どたりと春の泥       細江毛玉

  鳶の笛コルクの一つ余りけり        二木 暖

  春眠の稀に平行四辺形           小野裕三



           ナマステ楽団・そっきょううた「オオカミ豆を庭にまいて」↑

★閑話休題・・音楽一座ナマステ楽団「あれから10年ふたたびの心のアジールleteへ還る」・・



 本日、午後2時半から、ナマステ楽団「あれから10年ふたたびのアジールleteへ還る」(於:下北沢lete)に出かけたが、下北沢はン十年ぶりで、すっかり変わってしまった下北沢は、会場は徒歩5分足らずのところを、まず、改札の出口を間違え、また別の口に行ったまではよいが、せまい道路に人がひしめき合っているのと、愚生の方向音痴気味では、いくら道を尋ねても、その都度、違う路地に入ったり、結局、50分も歩き疲れて、たどり着いたのは、ライブの一部の終り近かった。それでも、途中であきらめなかったのはエライ!



     撮影・芽夢野うのき「春や月快速に駅とんでゆく歓喜」↑

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