安井浩司「ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき」(「俳句」1月号より)・・




 「俳句」一月号(角川文化振興財団)、角谷昌子「連載 俳句の水脈・血脈―平成・令和に逝った星々」の第31回は安井浩司。その中に、


(前略)山上のみが浄化されるや蛇の声

    (から)蛇のみが新しの蛇熟知して

    広目の少年もまた蛇のすえ (中略)

 浩司作品には、繰り返し登場する生きものがいくついもある。その中でことにおびただしい数の蛇が印象に残る。蛇はエデンの園で人間に誘惑の言葉を囁いた悪魔的存在ばかりか、とぐろを巻く姿は、禅の円相の悟りや仏性、真理、宇宙をも表す。また、己が尾を嚙んで円環を造るウロボロスの蛇の世界の合一性、さらにはニーチェの永劫回帰さえも思わせる。蛇の円環は洋の東西を問わず、混沌と調和の属性がある。

 蛇は作者の変身した姿であり、作品の時空における自身のアバターだ。彼は発想の典拠を明らかにしないが、蛇の作品の中で、〈浄化〉される〈山上〉は聖書のキリストの「山上の垂訓」を踏まえるか、〈広目の少年〉は、仏像の広目天で、特殊な眼力を備えた神将であり、作者は真理」を見抜く目を蛇の末裔である少年に与える。(中略)

 浩司は、重信に学ぼうと思って「俳句評論」に参加したが、重信の根源的なものをどこかで否定していたと述べる。そして重信が自分の多行中心の前衛俳句を「敗北の詩」と予想して悲観的だったとも証言する。

 浩司は、親しかった郁乎や重信の作品さえ厳しく批評し、尊敬した耕衣の俳句や言葉にも安易に迎合せず、独自の世界を築いてゆく。(中略)

 耕衣は、吉岡実の評価した浩司の句〈遠い空家に灰満つ必死に交む貝〉〈雁よ死ぬ段畑で妹は縄使う〉(『青年経』)などの作品を「超関係的関係」や「カオス」の不思議さを抱くと高く評価した。

  椿の花いきなり数を廃棄せり   『中止観』 (中略)

 浩司は「季語は季語という名を借りた絶対言語」であり、定型よりも季語を詩の言語として尊重すれば、季語は俳句作品を救済するとの述べる。彼にとって季語とは単なる歳時記の言葉ではなく、俳句と闘った末に得た、「極めて肉体的」な血肉を分けた運命的言語だ。 



 そして、「酒巻英一郎氏(「LOTUS」発行人・事務局)に聞く」には、


  浩司の極私的詩史における最大の謎と言えば、やはり三十三歳から始まる詩の女神との飛騨高山への出奔を見逃すわけにはゆくまい。時を同じくして歌の方では岡井隆が西方筑紫へ蓄電する。(中略)当然、その女神が気になるが、没後、金魚屋プレスの鶴山裕司氏と能代に実姉を訪ねたが、その名は明かされなかった。生前、浩司に「本気で女性と駆け落ちしないと、真の俳句は書けないのでしょうか」と尋ねたが、返事はただ一言「社会的制裁を受けるよ」。(中略)

  狼を嵌める一行(ぎょう)の墓へ参り    『赤内楽』

 一行とは一行詩、一行俳句の墓碑。かたや狼はなにものか。詩狼とも。詩に飢えたる自身の孤影。自己の詩の墓参において詩的成就は、果されるのか(中略)

   春の雁このまくらぎも死ぬつもり   『中止観』

 句集掉尾の句。 さきの飛騨での作品集。石川淳の「佳人」には、無為の主人公が自殺を計るべく、まくらぎを行き渡る件りがあるが、某氏曰く「酒巻君、安井浩司はほんとに死ぬ気だったんだよ」。(中略)

 創作が徹底した個、さらに孤の仕業である。かつて浩司は「俳句は“人払い“の文学」(「一句の背景」『もどき招魂』)と語った。安井と同行二人として句的命運を共にした先師大岡頌司にも同様の箴言を賜った。(中略)俳句作品の内実に、個と孤の相関による言語の絶対値を基軸とせよと。〈逃げよ母かの神殿の歌留多取り〉(『青年経』)の逃走から逃亡への頓呼から浩司の俳句が始まる。かの神殿の神託、その遊戯から。

 

 とあった。ともあれ、以下に浩司の句を、本誌より、いくつか挙げておきたい。


  渚で鳴る巻貝有機質は死して

  旅人へ告ぐたんすにスルメの頭(かしら)

  糸遊にいまはらわたを出しつくす

  二階より地のひるがおを吹く友や

  麦秋の厠ひらけばみなおみな

  人とねてふるさとの鍋に風あり

  冬青空泛かぶ総序の鷹ひとつ

  蛇二疋結ぶ遊びの童子たち

  渤海やいたどりのふいらちお


 安井浩司(やすい・こうじ)1936年2月29日~2022年1月14日。秋田県能代市生まれ。享年85.




★閑話休題・・大橋愛由等「〈立神ヲ爆破セヨ〉令一醒めて語れ」(「南海日日新聞」12月27日付け「なんかい文芸 蘇鉄句会」より)・・


 「南海日日新聞」12月27日付け、「なんかい文芸」欄の最下段、大橋愛由等と亘余世夫が共同代表をつとめる「蘇鉄句会」の側に、大橋愛由等の訃報記事が出た。


 奄美本を出版

 大橋愛由等(おおはし・あゆひと)さん 詩人・俳人・出版社代表。21日午前11時17分頃、死去。(中略)同志社大学を卒業後、出版社勤務を経て図書出版まろうど社を設立。「島尾敏雄と奄美」(藤井令一著)、「奄美の針突―消えた入墨習俗」(山下文武著)などを出版。蘇鉄俳句会の設立も尽力した。8~12月本紙文化面に「貫く郷土愛阪神の復帰運動」を執筆した。自宅は神戸市東灘区。


 今後は、代表を亘余世夫(わたり よせふ)がひとり代表、安西佐有理が事務局で、当面、冨岡和秀が事務局補佐を務め、蘇鉄句会が存続することになった。以下は12月27日付け、南海日日新聞「蘇鉄句会より抜粋。


  復帰復興迷い子ならむ潮鳴りす        安西佐有理

  (あめ)の下奄美巡礼巫覡(ふげき)走る   冨岡和秀

  冬ぬくし小指くらゐの白珊瑚          堺谷眞人

  八割はあの子が喋る息白し           小池正博

  逆光にアダン美し一村の            北村虻曵

  花綵(はなづな)の島嶼に薫る無季俳句     堀本 吟

  (たたき)き独楽(こま)叩き叩かれ福まわす 亘余世夫

  魂は琉球道に迷えば煌めく島          大井恒行



        芽夢野うのき「龍の玉いつか天へと舞ふかしら」↑

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