大井恒行「晴れゆけば元旦にこそかの龍を」(新年詠)・・
謹賀新年!
晴れゆけば元旦にこそかの龍を 大井恒行
2024年元旦
本年もよろしくお願いいたします。
★閑話休題・・能村登四郎「火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ」(『戦後俳句史 nouveau1945-2023/―三協会統合論』より)・・
筑紫磐井著『戦後俳句史 nouveau1945-2023/―三協会統合論』(ウエップ)、まず。帯の惹句に、金子兜太へのインタビューとともに、「戦後俳句ー世紀を見据える力動史」とあり、
筑紫磐井:戦後の俳句史はまだ語られていないところもあると思うんですけれども……
金子兜太:おれはね、あんたがそれを言い出すと怖いんだ。ほんとに怖いですよ。何かあんたから出てきそうな気がしてね。この人から、新しい俳句史が。
とある。また「はじめに」には、
●寺山修司の言葉
「俳句は、おそらく世界でもっともすぐれた詩型である」
これは寺山修司の言葉である。(『黄金時代』昭和53年「あとがき」)。世界で最も短い詩型ではない、――世界でもっともすぐれた詩型だというのである。、もちろんそこに論理的な証明はない。しかし、戦後生まれお俳人たちにとって、それは無限の可能性に満ちた言葉であった。事実、俳句に始まり、短歌に転出し、様々なジャンルに挑戦した後、最晩年に俳句に復帰しようとした寺山の人生を見て納得できる言葉であった。(中略)
寺山の言葉に、私は明治の子規の言葉に虚子が衝撃を受けたように、戦後世代として衝撃を受けたのである。(中略)
私の戦後俳句史の出会いは、楠本憲吉『戦後の俳句』に始まる。青木氏がいうような
全時代を覆う通史の必要性はこれを読むことによって納得できた。のみならず、『戦後俳句』は血湧き肉躍る歴史の書き方を示してくれたのである。本書は、楠本の『戦後俳句』を継いだものとして読んでいただいてもよいかもしれない。しかし、一方で、『戦後の俳句』が十分でないと感じた点もある。(中略)
●通史の新しいポイント
以下本書で掲げた内容を概観する。基本的には俳句史における主要な項目をあげたが、それぞれのクロニクル的な平板な記述ではなく、なぜその運動が起こらねばならなかったかの因果関係を究明することに主眼を置いた。(中略)
なお脇道にそれるが、反「第二芸術」の立場から執筆された山本健吉の「挨拶と滑稽」は伝統的俳人たちに高く評価されているが、実際は戦前の恩師折口信夫の説を借りたものであり、結局二人の主張は、俳句は隠者文学であるという退嬰的な姿勢につながる要素をもつものであった。[第6節] (中略)
●新興俳句史観と戦後俳句史観 (中略)
川名氏は、「前衛」も言葉以前に遡って前衛の実体が存在していたと考えているようだ。『昭和俳句史』の中で、前衛が雑誌「薔薇」から始まったと記述しているのがそうだが、「薔薇」が前衛雑誌を銘打ったことはないと思う。前衛俳句雑誌を銘打ったのは鈴木六林男、佐藤鬼房らが拠った「天狼」系の「雷光」であった。だから名前がなければ実体も生まれない。名前のあるところに実体が生まれるのである。その過渡の時代にこそ私は興味がある。(中略)
髙柳重信も金子兜太と関西の進歩派の俳人について「その俳句の内実が果たして前衛的であるか否かは別として、これが今日、前衛俳句派と呼んでもいいグループを、一番正確に指していると思います」(「関西の前衛俳句について」「俳句研究」36年10月号)と述べている。本書の考え方の方が合理的と思えるのだが。
とあった。本書は大冊である。第一部は「第二芸術・社会性・ポスト社会性」、第二部は「戦後俳壇史」、「おわり」にで「三協会統合論」が収められている。読者は是非、直接、本書に当たられたい。記憶力にはからきし自信のない愚生だが、かつて第三次「豈」だったか(号数は失念)、その巻頭言で。筑紫磐井は、「コントロコレンテ(反流宣言)」を掲げたことがあった。当然と言えば当然だが、本書によって、その精神、志は、今も健在である、と思った。「おわりに・三協会統合論」の結び近くには、
本書で平成・令和時代の具体的俳句作品をあげなかったのは、三つの協会の対立の中で新しい俳句を作り出すエネルギーが生まれてこなかった――俳句作家たちの個々の孤独な営みはあったかもしれないが、俳句作家の集団でさる俳壇が新しい俳句を生み出すエネルギーを示し得なかったためである。こうした中でさらに結社の時代――つまり上達法の時代を経過することにより、俳句は至高の高みを目ざす動機に欠けるようになってしまい、作品としての先人たちのデータを操作することに終始することになりかねないこととなった。冒頭、寺山修司が述べた「俳句は、おそらく世界でもっともすぐれた詩型である」から遠ざかりつつあるのではないかというのが私の危惧である。(中略)
現代俳句協会 副会長 筑紫磐井
俳人協会 評議員
日本伝統俳句協会 会員
とあった。ともあれ、以下に、本書より、いくつかの句を挙げておこう。
青年へ愛なき冬木日曇る 佐藤鬼房(昭和29年、第3回現俳協賞)
冬の日や臥して見あぐる琴の丈 野澤節子(30年、第4回 〃 )
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく 金子兜太(31年、第5回 〃)
白川村夕霧すでに湖底めく 能村登四郎( 〃 )
「吹操銀座」昼荒涼と重量過ぎ 鈴木六林男(32年、第6回〃)
月の道子の言葉掌に置くごとし 飯田龍太( 〃 )
筑紫磐井(つくし・ばんせい) 1950年、東京都生まれ。
撮影・芽夢野うのき「日論と大樹のむこう年は明けつつ」↑
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