高柳重信「この河/おそろし/あまりやさしく/流れゆき」(『俳句500年 名句をよむ』より)・・
藤英樹著『俳句500年 名句を読む』(コールサック社)、帯文は長谷川櫂、それには、
古今の名句を知らなければ一歩も進めないのが俳句。
たしかな選句と深い読みが生んだ必読の書である。
とあり、著者「あとがき」には、
本書は、所属する俳句結社「古志」の二〇一七年十月号~一八年一月号、一八年七月号~十月号、二一年五月号~八月号に連載した文章に加筆したものです。
とあった。一ぺージずつに配された句(名句)を、「第一部 おおよその俳諧」、「第二部俳諧から俳句へ」、「第三部 俳句の多様化」と読み進むうちに、俳諧・俳句の歴史がわかるという仕掛けになっている。故人の俳人ばかりを扱っているので、著者は存分に筆を振るえたとおもうのだが、田中裕明とほぼ同時代を閲して、双璧と言われた攝津幸彦の句が漏れているのは、いささか本著の価値に惜しまれる。
一例に、高柳重信の別号「蟬翁=蟬夫」の句を引いておきたい。
さびしさよ馬を見に来て馬を見る 重信『山川蟬夫句集』
重信の不思議でおもしろいのは「ほとんど詠み捨て」と言いながら、一行句集も二冊上梓しているところだ。(中略)
『山川蟬夫句集』は春夏秋冬と雑(無季)に分けられ、通読すると、蟬夫(重信)の句作の真骨頂はどうやら雑のほうにあるらしい。
掲句は競馬場での吟であろうか。「さびしさよ」は鞭を入れられる競走馬への哀憐か。「馬を見に来て馬を見る」に言うに言われぬ可笑しみと哀しみが感じられる。雑の最後に置かれた句は「友よ我は片腕すでに鬼となりぬ」。俳句の荒野を耕した彼の壮絶を思う。
とあった。ともあれ、「第三部 多様化」の中から、句のみなるがいくつか挙げておきたい。
すばらしい乳房だ蚊が居る 尾崎放哉
どうしようもないわたしが歩いてゐる 種田山頭火
夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田耕衣
おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ 加藤楸邨
あをあをとこ世の雨の箒草(ははきぐさ) 飴山 實
大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太
冬滝の真上日のあと月通る 桂 信子
空へゆく階段のなし稲の花 田中裕明
最澄の瞑目つづく冬の畦 宇佐美魚目
生きものに眠るあはれや竜の玉 岡本 眸
光堂より一筋の雪解水 有馬朗人
落椿とはとつぜんに華やげる 稲畑汀子
おおかみに蛍が一つ付いていた 金子兜太
藤 英樹(ふじ・ひでき) 1959年、東京生まれ。
★閑話休題・・山内将史「雪原へ籠のカナリヤ逃がしけり」(「山猫便り」2023年12月21日より)・・
「山猫便り」2023年12月21日(山内将史)より。
(前略) 冬暖か渥美清の啖呵売 藤原龍一郎 「豈」66号
道を歩いていると同級生に出会い今から映画を観に行く一緒に行こう入場券は奢ると言う。彼は炭鉱遺児で補償金によって小遣いが多いと噂だった。バスに乗り町の映画館で「男はつらいよ 柴又慕情」を観た。吉永小百合サンの美しさに陶然。「冬暖か」が寅次郎らしい。
本年も、大晦日になりました。皆さん!お身体大切に!良いお年をお迎え下さい。
撮影・中西ひろ美「今日までは冬あたたかな予報かな」↑
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