詠み人知らず「父親(おや)のない子が親分(おや)を持つ小春かな」(『任侠俳句』)・・


 吉川潮・藤原龍一郎『任侠俳句/八九三の五七五』(飯塚書店)、「まえがき」は吉川潮、それには、


 ヤクザが俳句を詠むのをいに思う方が多いだろう。私に教えてくれたのは、ヤクザの足を洗って堅気になったA氏である。私が任侠小説を執筆した際、編集者に紹介してもらったどうせだいの方だ。(中略)句作を見せてもらったが、ヤクザならではの視点で日常をスケッチした句や獄中で詠んだ句に、感心しきりであった。

 某任侠団体の機関紙を見せてくれたのもA氏である。組織内の人事、盃事の情報、服役中の組員が仮出所する日取りなそ、興味深い記事が多い中、投句欄があった。そこで私はA氏に、ヤクザの俳句を集めてもらえないかと依頼した。(中略)A氏同様、匿名希望なので、いずれの句も「詠み人知らず」とさせてもらった。(中略)

 私が俳句を始めたのは1990年、イラストレーターの山藤章二氏が宗匠の「駄句駄句会」に入ってからだ。その同人であった藤原龍一郎氏に半数の解説を依頼した。駄句駄句会はすでに解散したが、2022年9月、藤原氏を宗匠に仰いで「だんだん句会」を始めた。私も同人で、月に一度、例会を開いている。(中略)

 「八九三の五七五」というサブタイトルだが、ヤクザが「八九三」と表現される由来は、花札のオイチョカブで、八+九+三=二十で「ブタ」。最低の数字であることからきている。ヤクザは最低の存在と軽蔑したのか、ヤクザ自身が卑下したのかは定かではない。


 とあり、「あとがき」の藤原龍一郎には、


 (前略)俳句というのは日本語をしゃべり、読み、書くことができる人ならば、誰でも作ることができる詩の形式なのである。この本が八九三の五七五であるように。その人の職業も社会的な立場も関係なく、俳句を作ろう!という思いを抱きさえすれば、五七五の言葉が、アタマの中に浮かびあがってくるはずだ。


 とあった。両氏の解説文を各一例をあげ、最後に、本書より句をいくつか挙げておきたい。


     座布団の上下で揉める師走かな

  組織内での序列を「座布団」と称する。「あいつより座布団が上だ」とか、「座布団が下のくせに」といった使い方をされる。序列が重んじられる世界なので、大組織のヤクザが一堂に会する会合や宴会が多い師走に、席順について揉めることもあるのだ。その結果、抗争事件に発展したケースもあったらしい。(吉)


     姐さんに彼女(スケ)を会わせる花の宴

 ヤクザも花見はする。組の公式行事となれば、それは「晴れ」の場であり、同伴した自分のスケを姐さんに紹介する場面もある。これが意外に気を遣う。若さや美しさを誇示するようなことは、当然ながらご法度。自分の女が姐さんにはまってくれることは、組織内ではきわめて有効なポイントだ。さりげなさの中に、緊張感を秘めた一句である。(藤)


  春寒し抗争(でいり)の終わりまだ見えず

  春雨や情婦(バシタ)が傘を差し掛ける

  かち込みに出ていく宵や朧月        (注:かち込みとは殴り込み)

  夏羽織手打ちに臨む覚悟決め    (注:手打ち式は、和解の儀式である)

  マル暴の刑事(デカ)のワイシャツ汗みどろ  (注:マル暴は暴力団担当)

  指詰(エンコ)め痛みをこらえ夕涼み

  七夕の願いはひとつ恩赦なり

  日の盛り野球賭博のハンデ決め

  覚醒剤(シャブ)打って娼婦を抱いた熱帯夜 (注:薬物を服用して性行為を「決めセクと言うとか)

  金も部屋も借りられぬ身の冬支度  (ヤクザに対する締め付けで、銀行口座を作れない、賃貸住宅を貸さない処置、人権はいかに?)

  素手喧嘩(ステゴロ)に負けたことなし冬の月

  組長がサンタになった聖夜かな   (組長も子ども好きでサンタの衣裳をまとう)

  義理掛けの出銭重なる年の暮   (注:義理掛けは冠婚葬祭に出す祝い金、香典)

  姐さんの心尽くしの雑煮喰ふ


 吉川潮(よしかわ・うしお) 1948年生まれ。

 藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう) 1952年生まれ。



       撮影・中西ひろ美「赤く塗られ冬将軍の渡る橋」↑

コメント

このブログの人気の投稿

救仁郷由美子「遠逝を生きて今此処大花野」(「豈」66号より)・・

小川双々子「風や えりえり らま さばくたに 菫」(『小川双々子100句』より)・・

福田淑子「本当はみんな戦(いくさ)が好きだから握り締めてる平和の二文字」(『パルティータの宙(そら)』)・・