髙田正子「創刊の一誌捧げむ初明り」(「青麗」創刊号)・・


 「青麗」創刊号(青麗俳句会)、巻頭は特別インタビュー「俳句でつながっていきましょう」(「青麗」主宰・髙田正子)、その中に、


  (前略)私は、若いころ関西に引っ越したとき、親戚も友人も全くいなかった土地ですが『あんず句会』に誘ってもらって、あっという間に知り合いができたことを思い出しました。

 俳句をしているというだけで親しくなってしまう不思議に、私は随分救われてきました。だからそのありがたさへの恩返しというより恩送りとして、結社を作ろうと思いました。(中略)

 関西で子育てをしていたころ、既存の句会には思うように参加できず、寂しい思いをしたことがありました。で、ふっと思い付いたんです。『そうだ、句会を自分で作ればいいんんだ』。

 それが今も続いている『両手の会』です。メンバーは五人の同世代のお母さんたち。子連れで吟行し、句会をしました。上は小学六年生から下は幼稚園まで。もう吟行というより遠足です。(中略)

 若い人たちの句会や、子育て中のパパやママの句会は、今あちこちで誕生しつつありますが、サラリーマンだけの句会とか、只今介護中句会があってもよいのではないでしょうか。(中略)

 まずは、あれこれ悩まずに、季語を入れることと、五七五音字のリズムを守ることのふたつだけを意識して作ってみましょう。

 上手でなくても、言いたいことが伝わればいいのです。するっとできたものに自分らしさが出たりします。俳句は、上手さよりも自分らしさです。


 とあった。その他、連載はジョニー平塚「俳句百名山」の第一回は「富士山 3776m」。ともあれ、創刊号の「選評と鑑賞」から、句のみになるがいくつか挙げておこう。


  秋麗(あきうらら)しゆるしゆると解く舫ひ綱   藤原尚子

  遠泳の肩つやつやと上がりくる          岩田由美

  石積みて棚田千枚鰯雲              大林文鳥

  八月の禱りの杖をたまはりぬ           仙波玉藻

  先生を待つ葛棚の木の椅子に          安達美和子

  一途なる恋にも疲れ昼の虫            城下洋二

  蝉時雨棺(ひつぎ)にセピア色の文      あんぽふみこ

  白道(びゃくどう)をすすむ名を得て曼殊沙華   後藤憲子

  露草や咲いては人の世をなぞる          中島柚子

  水底の近づいてくる泉かな            伊東真里



★閑話休題・・「ナマステ楽団+チベット仏教音楽家、テンジン・クンサン くりすます」(於:南千住・光照院)・・






 昨日、12月23日(土)は、末森英機のナマステ楽団のクリスマス音楽会(於:南千住・光照院)に出掛けた。それに先駆けて、「こども極楽堂クリマス」(光照院そば)ではチャリティーが行われ、地域のこどもたちにプレゼントがあったらしい。ナマステ楽団の由来は長島愛生園のハモニカバンドの青い鳥楽団からのものだという。途中から、観客のなから、飛び入りで、クラリネットや口琴なども加わり、なかなかの盛り上がり、お代は投げ銭。末森英機は詩人でもあり、『鬼が花を嗅いでいる』(書肆山田)などがあるが、ここでは『光の楔、音の礫』(港の人)から2編を挙げておこう。すべての詩は7行で書かれ、フォルムをもっている。


  沈黙こそ  

  神が 赦す

  唯一の

  言語なら

  新しい

  バベル語の必要は ない


  夢の 中で

  物乞いを して

  歩いて いると

  きよらかな

  虚空は

  無垢なる

  風の杖を くれる    


 また、この詩集の巻末には、Fr.ダニエレ・サルズイ・サルトリ「被災地のチンピラ・ブラザー・ヒデキへの手紙」が収めれている。その結びには、


  花が咲くのを待たずに、まず、自分の心を咲かせましょう。

  太陽が昇るのを待たずに、まず、自分の魂を天に向けましょう。

  蕾が開くのを待たずに、まず、自分の願いを打ち明けましょう。


 とあった。


 末森英機(すえもり・ひでき) 1955年生まれ。



    
 撮影・芽夢野うのき「太陽の子よわが胸にこよつつき癖」↑

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