乾佐伎「磨いた鏡に祈る」(『シーラカンスの砂時計』)・・


  乾佐伎第二句集『シーラカンスの砂時計』(砂子屋書房)、跋文は内藤明。その中に、


   シーラカンス秘密を言うから目を閉じて

   シーラカンス東京を泳げない

   虹架けてシーラカンスはまた眠る

 一方、こちらのシーラカンスは作者の隣にいて、作者が心を打ち明ける友人でもあるかのようだ。また次の句では、どこか生きがたくある作者の分身として「シーラカンス」がいる。そして最後の「シーラカンス」はメルヘン的な趣をもって、子の句集を静かに閉じている。

 人間の季節や現実を超越したシーラカンスを想像し、それに語りかけるように作られる句の姿は、出来上がった俳句としてはやや短調だが、句作を通して自らの感情や思想を形にしようとする若い作者の特徴がよく現れている。口語をベースとして、俳句的手法を離れ、季語の制約みなく作られている乾さんの一行の詩は、どこか短歌的な一人称的な抒情を思わせる。しかしまた、そこにはどこか俳句的な、啓示的、飛躍的なものもうかがえる。乾さんにとって、「シーラカンス」は、自らの生と世界認識の指標であり、伝統詩として現代という時代をさまよう俳句そのものなのかもしれない。


 とあり、また、著者「あとがき」の中には、


 シーラカンスとは二〇一九年八月に沼津港深海水族館で出会いました。展示されていたレプリカではない本物のシーラカンスの冷凍個体の迫力に圧倒されました。帰りの電車の中で夢中になってシーラカンスの句を作り始めたことを覚えています。それから四年、シーラカンスの存在はいつも私を励まし、支えてくれました。永遠に近い時間を深海で泳ぐシーラカンスの存在は、私の心に一筋の光をさしてくれました。私は、これからもシーラカンスと泳ぎ続けます。


 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  回転木馬 はぐれないように光る       佐伎

  シーラカンス夢の中からでられない

  シーラカンスあなたの海に守られて

  シーラカンス光は君をなくさない

  夜更けの鏡からハミング

  聖母像ブーケのように風を抱く

  雨音が聞こえてきそう琥珀から

  ほほえみは明日への切符白い雲

  ジグソーパズルひとつの雨音が埋める

  希望とはジャングルジムの中の風


 乾佐伎(いぬい・さき) 1990年、東京都板橋区生まれ。



★閑話休題・・太田和彦編『伝説のカルト映画館/大井武蔵野館の6392日』・・


  太田和彦編『伝説のカルト映画館/大井武蔵野館の6392日』(立東舎)、その

  太田和彦「まえがき」に、


 (前略)大井武蔵野館は違った。正月興行以外は日本映画の旧作(戦前も含む)をこつこち探し、封切り以来上映されていない作品、忘れられた作品を中心に、独自の視点のプログラムで特集上映を続けた。これは、映画を一本見て面白かった、のではなく、同じジャンルの作品を連続して見る研究営為であり、大井はそのジャンルを次々に開拓した。(中略)にんべんだらりと新作が回ってくるのを待つのではなく、映画館が自主的に作品を選ぶ独立姿勢は、次々に名作を発見公開させた。(中略)、

 パリのシネマテークを主催したアンリ・ラングロアは、映画フィルムは時々巻き直して風を当てるのが保存に肝要として上映し、床に座ることを条件にゴダール、トリュフォー、シャブロルなど若い連中を無料入場させ、映画の波・ヌーベルバーグを育てたのは有名な話だ。彼らは伝統文芸柞よりもアメリカのB級西部劇に多くを学んだときく。大井武蔵野館主・小野善太郎氏こそアンリ・ラングロアに例えたい。


 とあった。さして映画に詳しくない愚生が、なぜこの本を手に取ったかというと、この小野善太郎が「回想」として、「石井輝男監督とワイズ出版・岡田博社長との想い出」を書いていたからだ。かつて愚生の本屋勤めの同僚だった岡田博は、小倉生まれで、それゆえ、昔はよく「無法松の一生」を宴席で歌っていたのを思い出す。その小野善太郎は、


 大井武蔵野館といえば石井輝男監督特集、という印象を持たれている方は数多いと思われますが、それには、映画関係としては日本有数の出版社となったワイズ出版の存在が大きかったですね。また逆に、ワイズ出版の黎明期~最初期には当館も少なからずお役に立てたかなあとも思っています。

 もはや2005年に石井監督は亡くなられ、岡田社長も2021年に亡くなられてしまい、誠に淋しい限りですが、私が知る、おふたりが出会われる前からのことを書き留めておきたいと思う次第です。

 岡田さんと初めて会った時のことは昨日の出来事のように憶えています。

ある日、当館にお越しになり、「これから映画監督の本で出版社を始めたいと考えていて候補が三人。石井輝男、増村保造、岡本喜八」

「石井輝男ですね」と即答したら、岡田さんは「ほうっ!」というより口元を、あの特徴あるクリクリッ目で、ビックリしたような表情。

だって、大井武蔵野館だもの。いわゆる名作なんかじゃなくて「とんでもない日本映画」をこそ追求するのが身上だったんだもの。 (中略)

 しかし、やがて狙いすましたかのような出版第一弾『石井輝男映画魂』は見事に世に放たれ、当然のように出版記念の特集上映は当館で開催することになりましたが、ならば、この機会に長年埋もれたままでビデオ化もされていなかった石井監督の異常性愛路線の作品を発掘上映しようと思い立ち、前例はありませんでしたが、まず『徳川いれずみ師 せめ地獄』の上映用のニュープリントを起こしてもらおうと、もちろん経費は全額当方負担で、東映に申し入れたら、「ウチじゃあ、そんなことはしないんだっ!」

 思わず頭を抱えましたが、岡田社長コネクションを頼って東映の大プロデューサー天尾完次さんにご相談いただいたら、まさにラスボス登場、翌日どころか、ほんの数分で事態は一転。(中略)

 そして引退同然だった石井輝男監督ご当人は悠々と現役復帰!何本も新作を発表し続けられたのは周知の通りですが、それは岡田さんの乾坤一擲の出版あってこその日本映画史上の奇跡ではなかったかと思われます。


  とあった。瞑すべし岡田博・・・・。


 太田和彦(おおた・かずひこ) 1946年、北京生まれ。

 小野善太郎(おの・ぜんたろう)1955年、長野県生まれ。



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