愛知けん「寒紅は薄めに神へ嫁ぐから」(「河」11月号より)・・
「河」11月号(河発行所)、愛知けん、その名を知る人は少ないかもしれない。ただ、愚生が若き日に、坪内稔典らとともに、「現代俳句」(ぬ書房、南方社)では、「鷹」所属の、しょうり大は、「豈」の創刊同人であり、一目置かれる俳人で、句のファンも多かった。そのしょうり大の「河」での俳号が「愛知けん」である。しょうり大は、「豈」の創刊号に、
群れてめじろ木(・・・)木にもろもろの晴れ間つくる 大
やまとに死す六法全書色づくと
今朝(けさ)も身を消さず銀木犀にゐる
と発表している。
その後、しばらくして飯島晴子のことのみを書いていた同人誌「目入(メイル)」に執筆されていたこともある。その頃、作句を再開されて、「河」に入られ、お住まいの場所に因んで、愛知けん、の俳号を用いておられた(もっとも、「しょうり大」も本名を逆さまに読ませたようなペンネームだったが)。その愛知けん、令和五年度の結社賞・源義賞を受賞されたのだ。題して「神に嫁す」(自選三十句)の「受賞のことば」には、
黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎにくる
向日葵や信長の首斬り落す
など、衝撃的な句に誘われて「河」に入会しました。
「神に嫁す」は私詩寄りであり、ためらいがありましたが、娘との関係を払拭したくてまとめてみました。それが想定外の評価をいただけ戸惑っております。
とあった。さらに、伊藤清雄「源義賞愛知けん論/愛娘」の冒頭には、
突然の事であった。家の中で二人の前で、娘が倒れた。人工呼吸を続けた。救急搬送された病院では、その死が確認されただけであった。若くして娘は旅立ってしまった。(中略)
俳句がうまいとかではなくて、こせこせしない洗練された作風の俳人である。俳句を日記としてではなく文学として愛知けんワールドを楽しめばよい。
色鳥来娘の断念の息遣い
冬苺音符だらけのパジャマ着て (以下略)
とあり、驚いた。逆縁である。 愛知けんからは、他にも第27回角川春樹賞「言霊幸はふ」の句のコピー、そして、中部日本俳句作家会会報(令和4年7月号)には、
墓からの出勤今朝もマスクして
娘が体調の不良を訴えるので神経内科を受診したところ、「脳幹腫瘍で手の打ちようがありません」と言われた。落ち込んでいたら、脳外科へ情報が伝わり、「手術してみましょう」ということになり壮絶な戦いがはじまった。(中略)その後も後遺症のため入退院を繰り返していましたが、医療の力を借り、小康状態を保てるようになりました。講師とはいえ念願の教育の仕事にも係れるようになっていた矢先、想定外のことが起き、痰を喉に詰まらせ命を落としてしまいました。
とあった。ともあれ、受賞作の中からいくつかを挙げておきたい。
黄泉の娘を捜さむ月のシャガールと けん
鬼籍にて金魚掬いか今頃は
文字だけとなった娘今日はさくらんぼ
折り紙に魔法吹き込め春の虹
娘も黄泉の渚か宵のしゃぼん玉
囀れり神に嫁したる娘のベッド
骨拾う豆を撒きたるその手もて
事切れぬ豆撒く用意まで済ませ
木枯しの裏地を使え寝るからは
黄泉の地図捜しておりぬ寒椿
花筵今も一角空けてある
愛知けん(あいち・けん) 昭和18年、愛知県一宮市生まれ。
芽夢野うのき「熟睡のなかをしずしず金木犀」↑
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