河内静魚「哭きしあと白鳥の首重からむ」(『水の色』)・・
河内静魚第7句集『水の色』(朝日新聞出版)、 その「あとがき」に、
この集は、花鳥を詠む日々のつれづれである。(中略)
そんななかにあって、娘をあっという間に、はかなく亡くし、しばらくの間、私の花鳥の世界は、かなしみの色一色になってしまった。私の俳句は日常のよろこびとかなしみだからだ。
句集名は、〈まだ水の色のままなる初氷〉の句より『水の色』とした。〈空つぽになれぬ鏡や西行忌〉という句も詠んだ。空っぽには決してなれない鏡のように、この世のもろもろをこころは映す。そして花鳥ばかりが映ってしまう私の鏡である。
とあった。ともあれ、集中より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。
羽子つくやたえず空ある嬉しさに 静魚
波よりも水平線の涼しさよ
秋思入りジンをマスターくれないか
どちらともなく秋の日の手をつなぐ
鈴蘭はなんど振りても風の音
滝という水音のすることばかな
特別に許され面談
生きることまた耀かす囀は
あゆ子逝く
一落花風をつかまへ舞ひ上がる
孤独とは人の持物年の空
七色にこの世の年のはじまりぬ
旅心つくころ了る夏の旅
水割りの氷に季なし三鬼の忌
みじか夜や時計に音のありしころ
河内静魚(かわうち・せいぎょ) 1950年、宮城県石巻市(旧大川村)生まれ。
白石正人↑
★閑話休題・・川崎果連「かみのるすしねないくせにしぬという」(現俳・都区協Cブロック吟行会)・・
本日、11月15日(水)は、東京都区現代俳句協会Cブロック吟行会「三鷹・太宰治ゆかりの地を訪ねる」が開催され、その出句整理の時間帯に、白石正人講演「太宰治の俳句について」があった。愚生は、講演を聞きたいと思い、飛び入りで吟行に参加した。愚生30歳代は、三鷹駅前の公団住宅に住んでいたので、付近の土地勘はあったのだが、今では、太宰治の記念館や、ゆかりの地の案内版が整備されていて、観光スポットにもなっているらしい。一気に一万四千歩ほど歩いた。太宰治の俳号は朱麟。もしくは朱麟堂。白石正人のレジメから、小説などに挿入されている句をいくつか挙げておこう。
外はみぞれ、何を笑ふやレニン像 『葉』昭和9年
ここを過ぎて、一つ二銭の栄螺かな 『ダス・ゲマイネ』昭和10年
首くくる縄切れもなし年の暮 『虚構の春』昭和11年
ふくろふの啼く夜かたはの子うまれけ 『二十世紀旗手』昭和12年
乱れ咲く乙女心の野菊かな 『パンドラの匣』昭和20年
白足袋や主婦の一日始まりぬ 『冬の花火』昭和21年
因みに愚生と白石正人の吟行句などは、
緋のマントメロスに捧げ翳る日よ 恒行
山茶花やかくて詩片の降りやまず 正人
供華供菓(くげきょうか)絶えぬ墓あり冬紅葉 長谷川はるか
マフラーで太宰の墓を磨きけり 高橋透水
インバネス闇のうつつをさ迷えり 表 ひろ
紅葉散る心中のこと道化のこと 山本敏倖
鈴木純一「凍蝶のもって世界を光らする」↑
コメント
コメントを投稿