宗田安正「YASUMASAと箪笥に呼ばる春の暮」(「五七五」11号より)・・
「五七五」11号(編集発行人:高橋修宏)、特集は宗田安正。その「編集後記」に、
(前略)そのひとつは(愚生注:エピソード)、何かのたびに宗田氏が「表現するって、ほんらい恥しいもんだから」と、呟かれていたことだ。むろん、その言葉は、自らの俳句や批評にも向けられていたが、いま想い返すと、それに止まらない彼の表現をめぐる自他への倫理であったろう。(中略)
また、ある賞で寺山修司の俳句を巡る論作が発表されたときも、「あれは、僕のパクリだね」と言ったきり、黙ってしまわれた。その後、宗田氏から寺山論(今号掲載)のコピーが送られてきたが、それ以上は、おたがいに語ることはなかった。
とあった。この掲載された論は、宗田安正「寺山修司句集の構造―—なぜ〈青春俳句〉でなくてはならなかったか」(「俳句空間」第6号、1988年9月刊)である。「俳句空間」第6号(弘栄堂書店版)は、愚生が澤好摩の書肆麒麟から引き継いだ雑誌で、第6号(寺山修司特集)が、リニュアールしての新装版だった。寺山修司の100句選を三橋敏雄にお願いし、インタビューを福島泰樹にお願いした。また、寺山作品掲載のための著作権料の交渉を、寺山ハツにお願いするのに、何の面識も無かった愚生は、幾人かの方に仲介の労をとっていただいた記憶がある。記事中、宗田安正の寺山修司論は、寺山修司の俳句の創作時期や発表時期などをたどり、その全容をあきらかにしたものだった。蛇足ながら、この新装版「俳句空間」は、全国発売のため、書店営業も愚生がした(ようするに、愚生一人で何もかも行う、というのがわが社・弘栄堂書店で引き受ける際の、会社側が出した条件だった。加えて、愚生が吉祥寺店から小岩店に転勤・隔離就労することも含まれていた)。再出発の第6号「俳句空間」・寺山修司特集は、初刷り2000部で、「俳句空間」誌の中では、売り上部数が最も多かった号である。
本誌本号の他の執筆陣は、筑紫磐井「宗田安正氏の業績―—龍太と修司の最大の理解者」、高橋修宏「私神話のトポスーー宗田安正論(抄)」・宗田安正十句選。増田まさみ「裂目(クレバス)から洩れる――高橋修宏句集『虚器』に寄せて」、今泉康弘「蒼ざめた龍を見よ――木村リュウジ試論(3)」。ともあれ、本誌中より、宗田安正の句をいくつか挙げておこう。
天秤の跳ねて枯野も傾けり 安正
降る雪のひとひらひとひら骨の匂ひ
巨き眼の枯野となりて昏れにけり
蝶われえおばけものとみて過ぎゆけり
千年王国期(ミレニアム)なれば雪の降りやまず
凍蝶のこときるるとき百の塔
今生より来世なつかし薺粥
顔に吹くわれより古き春の風
母の寝所より始まれり草紅葉
滝の音出すまで姉をいぢめけり
昼寝より起ちて巨人として去れり
宗田安正(そうだ・やすまさ) 1930年9月2日~2021年2月13日。享年90。東京生まれ。
撮影・中西ひろ美「うすうすと木の花は立夏の中に」↑
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