金子敦「虹の根をこれから掘りにゆくところ」(『金子敦句集』)・・・


  現代俳句文庫88『金子敦句集』(ふらんす堂)、解説は杉山久子「新しい音楽」、仲寒蟬「美しい猫」。杉山久子は、その結びに、


 最後に、敦句の新しい展開を予感させる、痛みと救いを思わせる静謐で美しいこの句を。

  鉄条網ひとつひとつの棘に雪

 これから生まれる新しい音楽を楽しみにしている。


 とあり、また、著者「あとがき」には、


 初めて俳句を詠んだのは小学五年生の国語の授業の時。教室の後方の棚に鳳仙花の鉢植が置かれていた。「ほうせんか花が咲いてもまだ伸びる」という句を出したところ、担任教師からお褒めの言葉を頂いた。「金子君は、毎日よく花を観察していますね。じっくり観察するのは、俳句を詠む上でとても大切なことです。」と言われて感激した!この言葉が無ければ、俳句とは全く無縁だったかもしれない。不思議なものである。


 とあった。そして、エッセイ「ターニングポイント」の中に、


 幼い頃から虚弱体質だった僕は、夏の暑さが極端に苦手で、毎年夏になると体調を崩していた。二十代前半の頃、ことさら酷い夏ばての為、食欲が全く失せてしまったことがある。食べなければ快復出来ないと思いつつつ無理に食べると、激しい吐き気に襲われてしまう。固形物を全く胃が受け付けないので、温めた牛乳に柔らかいパンを浸して、ほんの少しずつ口の中へ流し込むという食事を続けていた。(中略)

 その瞬間、暗闇の中にぱっと光が差し込むように、言葉の断片が頭の中に浮かんだ。僕は即座に手元の新聞の僅かな余白にその言葉を書き留めた。

  五月雨やホットミルクの淡き膜    (中略)

とても不思議なことだが、毎日俳句を詠むようになってから体調も少しずつ回復して、固形物も食べられるようになったのである。(中略)

  夕立の匂ひのしたる葉書かな

 この句を書き留めた瞬間、それまでは固く閉じていた蕾が、いきなりぱっと開花したような感じがした。単なる写生ではなく、それに抒情を加えた句が詠みたかったのだということに気付いた。(中略)

  星釣に行かむ白露のみづうみに

 この句が頭に浮かんだ瞬間、静まり返っていた夜空に、大きな打ち上げ花火が色鮮やかに広がったような思いがした。それは、俳句というジャンルであっても、メルヘンやファンタジーの世界を詠むことが出来ることを確信したからである。従来の古臭い俳句観からやっと解き放たれたようで、心が軽くなった。


 と記されていた。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


  林檎むく寝癖の髪のそのままに       敦

  佐藤壺の中に小さき春の山

  水中花空のあをさを知らず咲く

  向日葵は亡き母の背と同じ丈

  しやぼん玉弾けて僕がゐなくなる

  白桃のひとところまだ空の色

  るるるるとららららららと萩こぼる

  独り占めか一人ぽっちか大花野

  月光を拒んでゐたる獣道

  抱き上げて子猫こんなに軽いとは

  大根の首に遥かな海の色

  ひぐらしや今日の余りのやうな色

  まだ僕は海月の骨を探してる

  黄落やパン屋に焼きたて時刻表

  ドローンを見張るドローン神の留守

  

 金子敦(かねこ・あつし) 1959年、神奈川県横浜市生まれ。

  


       撮影・中西ひろ美「夕立後の羽衣はおちて来ぬか」↑

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