松本余一「陽炎より銀輪歪みやつて来る」(『懺悔室』)・・
松本余一第4句集『懺悔室』(俳句アトラス)、跋文は林誠司「覚悟の詩」、その中に、
昨今、私は、俳句の“多層性“に注目している。人生がそうであるように、俳句を作る時も、嬉しいだけ、悲しいだけだったりすることは稀なのである。嬉しさと切なさの交差、希望と不安の交差、強気と弱気の交差などなど…。その交差が詩情を大きく深くする。余一さんが本音で吐露する作品は生きていく上でのさまざまな感情が一句の中で交差している。私の先師・角川源義先生は俳句に“陰陽の転換“を求め、これを“もどき“と定義した。「二句一章の方法は、陰中陽を求め、明中暗を探るものであり、相反する性格が結ばれて一章の俳句に結晶するところに意味があり、俳諧の転生があるはずだと思う。こうした人生諷詠の道こそ、救いが見出されるわけである。」(角川源義「これからの俳句」)。余一さんはこれらの方法を風狂の姿勢で会得している。
とあった。また、著者「あとがき」には、
俳句は明るく仕上げる方がよい。みじめな暗い句より狂喜の方が楽しい。しかし、私は前向きに、あるいは楽しい人生を目標に、「生きていてよかったと思える老後」のために、生きて来たのでは決してない。選ぶ余地のない、仕方のない、そしてぎりぎりのところを生きてきた、と言ったほうが当たっている。
とある。集名に因む句は、
懺悔室ここまで来れば秋風やむ 余一
であろう。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。
しやぼん玉百も吹き出す日のひかり
長生きは神の凄業春のどか
緑さす信号待ちのスクワット
さくらんぼ口の中では暗すぎる
生きてゐる人だけ乗せる蓮見舟
からだから抜け出た手足阿波をどり
朝顔のきれいなままの蔓伸ばす
ホバリング出来る雀や暮の秋
人去れば道消えてゆく芒原
貰つてと言はれ鳴きだすちちろ虫
逝くが怖きか吾も付きあふ冬の旅
雪吊を見に来る星の集まりぬ
松本余一(まつもと・よいち) 昭和14年、東京都小金井市生まれ。
★閑話休題・・河口聖・樋口慶子展「Prelude—未生の絵画ー」・・
芽夢野うのき「ほたる袋へタルホといふが座してゐる」↑
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