小川晴子「来し方に忘れ物あり春惜しむ」(『榾明り』)・・


 小川晴子第4句集『榾明り』(角川書店)、帯文は寺井谷子。それには、


  母の文読む祖母正座榾明り

 小川晴子さんに初めてお目に掛かった時、その笑顔に見惚れた。「笑」という字には「花が咲く」の意があるが、誠に鮮やかにそのことを実感させられた。眼前に咲く花は向き合った者を幸せにする。それでいて凛としている。「俳句の家」に生まれ、俳句と共に歩く――なかなかに容易ではない、と似た環境で育った私には「前略」の感覚で伝わる。

 『榾明り』はその覚悟と自負と、注がれた豊かな愛への感謝を照らし続ける。


とある。また、「あとがき」の中には、


 私は一九四六年一月一三日に俳人の御園生岬風先生のお世話になり、美しく晴れた夜明けに生まれました。晴子と名づけてくれたのは祖母です。その年の四月に成城の人間国宝・富本憲吉さんのお宅から出た時に祖母が詠んだ句が〈外にも出よ触るゝばかりに春の月〉だったといいます。毎年「せたがや梅まつり」が開催される羽根木公園にはその句碑があり、梅まつりは本年で四十四回目を迎えました。毎年の俳句講習会を汀女、濤美子、私と受け継いで参りました。(中略)

 二〇一七年夏に母が急病で倒れてから、結社の進むべき道を模索しながら「One for  oll  All  for  one」の精神で只管(ひたすら)に前のみを見て参りました。


 とあった。 愚生は、もう十数年前のことになろうか、母君の小川濤美子のご自宅で中村汀女についてのインタたビューをしたことがある。その折、「風花」発行所とご自宅を間違え(確かに、ごく近所だけれど、たどり着く路地の道筋がちがう?)一時間以上遅く参上することにハメなり、当然ながら、ご立腹だった。そこは、ひら謝り。それでも、予定の時間をはるかにオーバーして様々な世間話もうかがうことができ、帰りには、中村汀女全句集をお土産にいただいた。実にさっぱりした気持ちのいい魅力的、素敵な方という印象だった。その母・濤美子を詠んだ悼句がある(『今日の花』所収)。


     四月二十日、母濤美子逝く、享年九十三

   ありがたうあなたの娘で夜半の春    小川晴子 


 ともあれ、愚生好みに偏するが、以下に本集より、いくつかの句を挙げておこう。


  五年日記の三年真白の初日記

  薄氷も川原の石も光りをり

  傘福てふ幸をあまねくつるし雛

  後の月みな明かしたや胸の内

  ゆく年の日々平らかを乞ふばかり

  五年目の初刷嬉し「今日の花」

  船人は現世をはなれ花人に

  青葭や隠れ住みたる逸れ鳥

  木犀や告げれば夢もいきいきと

  寝惜しみて全身に浴ぶ星明り

  天高し七本杉に晴れ晴れす

  母の文読む祖母正座榾明り 


 小川晴子(おがわ・はるこ) 昭和21年、千葉市生まれ。

 

      撮影・中西ひろ美「心底という場所があり走り梅雨」↑

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