ニコライ「遠い戦争/蚤の市に/針一本の時計」(『俳句が伝える戦時下のロシア』)・・


 馬場朝子編訳『俳句が伝える戦時下のロシア―ーロシア市民、8人へのインタビュー』(現代書館)、馬場朝子の「はじめに」に、


 二〇二二年二月二十四日、ロシアが突然ウクライナに侵攻、戦争がはじまりました。長年、ソ連・ロシアと関わってきた私にとって、思いもよらないことでした。(中略)

 ロシアで俳句?

 意外かもしれませんが、実はソ連時代から俳句は親しまれています。五、七、五の世界最短の定型詩は、一九三五年、ソ連時代に「おくのほそ道」が翻訳され、学校で俳句が教えられることもありました。(中略)

 二〇二二年夏から秋にかけて行ったインタビューは、大変微妙なものでした。ロシアでは侵攻後、新しい法律ができ、たとえば、ウクライナへの侵攻を「戦争」と呼ぶことも禁止されています。政府は今回の侵攻を「特別軍事作戦」と規定しているからです。日本からのインタビューに応えること自体、リスクを伴います。(中略)

 戦争は、攻められた国に塗炭の苦しみを与えています。一方で、侵攻した国に住むひ人びとも、その苦しみから逃れることはできません。ロシアの俳人たちの話を聞き、戦争というものの非人道性を突きつけられた思いがしました。(中略)

 ロシアのウクライナ侵攻は決して許されない、ロシアに住む普通の人たちの声、その思いが凝縮された俳句に、耳を傾けていただきたいと思います。


 とある。また、アレクセイはインタビューの小見出し「情報戦争への対処法」の中で、


 いまは、自分の子どもたちと散歩したり、絵を描いたり、何かためになることを書いたりして、フェイクニュースに自分のエネルギーを使わないほうがいいです。フェイクニュースに対してできることは二つの方法しかありません。それをよく調べて否定するか、それらを読まないかです。私はいま、自分の周りにある生活をできるだけ良いものにしようとしています。(中略)

 ですので、俳句は、嫌なことから気をそらすということではありませんが、ほかのものを見て、世界の変わらぬ美しさを目にするのを手助けしてくれます。たとえこの出来事の中で私たちが苦しんでいたとしても、です。


 とあった。

 モスクワ市内に貼られた反戦ビラ。〈ウクライナとの戦争にNOを。政治家は権力争いをし、帝国を見る。そして国境をはさむ二つの国の市民たちが苦しんでいる。〉↑

 モスクワの残雪の上に書かれた「戦争反対」の文字。弾圧の中でも反戦を訴える市民がいる。2022年3月 ↑


 また、「幾重にも分断された世界でーーあとがきにかえて」の中には、


 今回、俳句を詠んだロシアの俳人たちは五十代から七十代です。社会主義国家ソ連に生まれ育ち。祖国が崩壊し、その後の新生ロシアで新たな人生を築いてきた人たちです。私自身、ほぼ彼らと同じ時代を生きてきました。(中略)

 日本でも戦争は、八十年前に起った父母や祖父母の時代の話ではなくなるかもしれません。第二のウクライナは、そこここにあります。

 「俳句で救われることはありません」「現在の状況では、私の俳句や創作は、何かを変えるのには無力です」と語るベーラさんの言葉は、リアルで説得力あるものです。しかし、それでも俳人たちは言葉を紡ぎ続けています。

 ナタリアさんの句には「生きてます 息子の手紙 光跳ね」とあります。

 もう誰も死んでほしくない――世界の人びとが同じ思いなのではないでしょうか。


 とある。ともあれ、本書中の一人一句を以下に挙げておこう(本文には3行書き・巻末にロシア語併記)。


  不眠症 すべて一つの 雫の音        ナタリア

  星の夜 ドミノの駒は 燻製魚の匂い    アレクセイ

  簡単な言葉 私たちの間に 春の小川     ニコライ

  広島の翼の陰 怒れる愚者が 地球を揺らす バレンチナ

  母は息子のもとへ ウクライナの地に 頭垂れ  オレク 

  TVニュース 傷ついた魂が 歌を乞う     イリーナ

  藁の上の猫に 成功の笑み ほら魚がかかった   レフ 

  特別軍事作戦 サラダに油 少なめに      ベーラ 


 馬場朝子(ばば・ともこ) 1951年、熊本県生まれ。



       芽夢野うのき「紫陽花やひかりと影をもてあます」↑

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