伊藤伊那男「桃咲くや嫁す日も父は酒臭し」(『神保町に銀漢亭があったころ』)・・
堀切克洋編『神保町に銀漢亭があったころ』(北辰社)、巻末に「クラウドファンディング支援者・結社一覧」があり、執筆者などの索引も付されいる。総勢130名ほどであろうか。
巻頭、巻尾は、伊藤伊那男「亭主まえがき/『銀漢亭』閉店顛末記」と「亭主あとがき/神保町に『銀漢亭』があったころ」に堀切克洋「編者あとがき」。内容は、各人の銀漢亭にまつわる思い出話と執筆者略歴がそれぞれ付されている。その「まえがき」には、
二〇二〇年五月末で神田神保町の酒場「銀漢亭」を閉店した。二〇〇三年五月六日に閉店したので、丸十七年をこの酒場と共に歩んだことになる。私が五十三歳の時であった。(中略)
儲けは少なかったが、私の俳句人生にとっては極めて有意義であったことになる。当初は立ち飲み屋であったが、お客に俳人仲間が増え、椅子も入った。途中からはほとんどの客が俳人という特殊な店になっていた。
とある。愚生が最初に銀漢亭に行ったときは、立ち飲みであった(今は一滴も呑まない愚生もまだ、少しは呑んでいた頃だ)。それも俳人とではない。銀漢亭のすぐ近くには、図書新聞があり、何より、洋書センターの解雇撤回闘争支援の行動で、近くの出版社や某銀行支店への抗議行動、さらには、書店労働者組合の連絡組織がまだ存在していた頃で、岩波書店の子会社・岩波ブックセンター(当時は信山社)にも、よく顔を出していた。沖積舎も近くに引っ越してきた。15年以上前のことだ。
俳人で賑わうようになった銀漢亭で覚えているのは、何かの会の帰りで、眞鍋呉夫と正木ゆう子の三人で行ったのだと思う。もちろん、主役は眞鍋呉夫である。「俳句界」の編集長だった林誠司とも行った。本書に登場するのは、殆どが俳人であるが、挨拶句がほとんど無いのは少し寂しい。よって俳句は掲載が少ない。とはいえ、さすがに伊藤伊那男のみは、「一句一菜」の各月のメニューが写真入りで句が添えられているのは花。5月のメニューは身欠鰊の山椒漬に「山国へ身欠鰊となりて群来(くき)」の句が添えてある。ともあれ、本書中の一人一句を挙げておきたい。
知命なほ草莽(そうもう)の徒や麦青む 伊藤伊那男
綿虫やいろはを書いて庭の隅 片山辰巳
亀鳴くや胡麻ほつほつとがんもどき 太田うさぎ
夜焚火や傷あらぬなき漁師の手 笹下蟷螂子
山一つ越すも別れや三月尽 西村麒麟
一献につのる言葉も三月尽 谷口いづみ
踏青や美濃の源流辿る道 堀江美州
句友といふは縁は途切れず桜満つ 鈴木てる緒
オールディズをBGMに梅雨一日 池田のりを
銀漢や後輩は先輩になる 黒岩徳将
眠る夜の水へミントの長き茎 佐藤文香
大寒の握り拳を弔意とす 朝妻 力
堀切克洋(ほりきり・かつひろ) 1983年、福島市生まれ。
夏の月草莽の徒はいずこなれ 恒行
撮影・中西ひろ美「聖五月ほほ明らむと思いけり」↑
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