西谷裕子「天上へゆっくりいそぐかたつむり」(『記憶の糸』)・・・
西谷裕子第3句集『記憶の糸』(七月堂)、帯文は皆川燈、それには、
さびしがりやの小鬼が一匹/身のうちに小さく跨っている
ひとりぼっちに慣れたふりをして/しあわせとうそぶきながら
致死量の花びらを浴びて……/やさしさが重いのだ
からまりあった記憶の糸を/俳句という小さな器に入れて
そっとほぐしていくと/さびしさの五段活用のその先に
懐かしい故郷が見えてくる
とあり、著者「あとがき」に、
(前略)前句集『ポレポレ』を出してから、十五年という月日が流れた。あとがきに、「今の思いを今の生きたことばで、新しい器に盛る」「一句で独立しつつも、物語の断片でもある、そんな俳句を目指したい」と記したが、それがどこまで追求できたか、はなはだ心もとない限りである。
選句にあたり、改めて時系列で読み返してみて、自分でも驚いたことがある。言葉や詠み方は違っても、根本的には同じところを堂々巡りするばかりで、そこから一歩も抜け出せていないのである。それには思い当たることがあって、ずっと持ち続けている思い、心のつぶやきを俳句に託してきたからにほかならない。まさに俳句は私の心の灯であった。(中略)
見つからない答えを探してこれからも果てしない旅が続くに違いないが、道中の荷に新しい句帳を忍ばせて、こんどこそポレポレと歩いていこうと思う。
とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。
いとおしいもののひとつに白骨 裕子
雨の日はすみれたんぽぽ休業です
おもい 重い おもい 初雪
しあわせのいすとりげーむ鳥雲に
仮想敵水鉄砲で撃退す
あうんのあわいにあわゆき
過ぎてゆく刻に遅速や白蓮(はちす)
つりはしをゆくきさらぎのやじろべえ
今生の息吹き入れて紙風船
薄氷を踏まねば行けぬハライソは
送り火やついに終生語らずに
了解。たったそれだけ藤は実に
海に暮色種無し柿に種のあと
秋霖のお手玉おはじき長廊下
さざんかさざんかその先に光明あるか
向日葵はおそろいがキライなのです
西谷裕子(にしたに・ひろこ) 1948年、愛知県生まれ。
撮影・芽夢野うのき「キンシバイこの世の径へよう来たと」↑
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