久光良一「死に方は選べない いい生き方を生きるだけ」(『泣かせ節』)・・
久光良一第5句集『泣かせ節』(文學の森)、著者「あとがき」に、
令和二年三月に妻が急逝しました。その時に作りかけていた第四句集は令和元年までの句をまとめたものでしたので、妻の死に関する句は載せておりません。したがってこの句集は、妻を失って一人になった男が、妻の死を乗り越えて生きてきた三年に及ぶ過程の記録ということになってしまいました。
人生いつ何がおこるかわからないということ、そして何があっても生きている限りは、しなければならないことをしながら、前に進んでゆくしかないということがわかった三年間でした。(中略)
自由律俳句は詩の極限です。私はその極限をきわめるためにも、生きている限り詩情を持ち続けることをモットーにして、これからも探究を続けてゆくつもりです。
とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。
もう走れぬ体にあるという自由 良一
杖の音が聴きたい お帰りと言ってやりたい
何もいいことない日の天気だけやけにいい
何をしてもいい時間を何もしないで過ごす
ほどよい距離とはさびしい距離である
がんばるなと言われてもがんばらねば生きられぬ
生き上手にはなれぬがせめてなりたい死に上手
父の日は父の遺影をおがみわたしも父である
人は冗談のように逝き空晴すぎている
よく働いた骨を残して妻よお疲れさま
とりあえず靴を履こう 陽が照りだした
もういない妻の杖の音がきこえる月夜
戦争がまだそこにある父の遺影
ありあまるとおもった時間がもう足りぬ
わたしも難民だった遠い日の引揚船
戦争とは何 父の遺影が読み解けぬ
知らぬがホトケという仏になって生きている
久光良一(ひさみつ・りょういち) 1935年、朝鮮安南道安州邑生まれ。
撮影・中西ひろ美「はたた神ギンギンの近未来きたれ」↑
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