道上チヨネ「動く星 子に指さして 夏の海」(『拝啓、おふくろ』)・・


  道上洋三著『拝啓、おふくろ』(光文社)、カバー表3裏に、著者略歴があり、「道上洋三(どうじょう・ようぞう)/1943年3月10日生まれ、5歳まで租父母の下、広島県甲奴郡上下町〔当時〕で過ごす、小学校1年から母チヨネと共に山口県熊毛郡に移り住み、18歳まで田布施町や平生町で育つ」とあり、愚生と同じ山口県で育ち、18歳で故郷を出たこと。愚生は、先月の現俳協「金曜教室」で、方言で俳句を作るという宿題を皆さんに出しておいたので、山口の方言をあたらて思い起す必要もあって、思わず、本書を手にしたのである。「まえがき」と「あとがき」には、2021年に9月に脳梗塞を発症して、現在、リハビリ中の著者、そして妻・道上瞭子、ご子息・道上拓人が執筆している。妻・瞭子の「まえがき/この本のこと」には、


 これまで彼は番組で、リスナーの皆さんの人生のありのままに触れてきました。今度は皆さんにこの本で、道上洋三の人生のありのままに触れていただくことになると思います。

 「おはようパーソナリティ道上洋三です」は終ってしまいますが、やがて彼がラジオのスタジオに復帰したとき、リスナーの皆さんと彼がより深く結びつくきっかけになると、考えています。


 とあり、また、「あとがき/義母チヨネさんのこと」の中に、


(前略)おばあちゃんは俳句を嗜んでいました。暇があれば、広告の裏や封筒の裏に俳句を書いていました。トラを詠んだ句もあります。

   留守居番 猫と二人の 昼寝かな

 トラは二十一年、うちで暮らし、おばあちゃんが亡くなってから後を追うように逝きました。

 

 とあった。そのおばあちゃん(道上洋三の母)は明治42年生まれ、享年92。話は飛ぶが、道上洋三は大の栃錦ファンだったらしい。愚生もそうだった。最後に、いわゆる山口弁の会話部分を引用しておこう。


 「何しちょるん?」(中略)

 「その魚はメダカじゃね。メダカをとっとるんじゃね?」

 「うん、メダカとっちょる」(中略)

 「バケツがいるね。ちょっと待っちょってね」


 道上洋三は坪内稔典の一年先輩らしい。道上の番組のライターをしていたことがあるという。



★閑話休題・・春風亭昇吉「お前しかおらん改札若葉風」(TVプレバト・浜田雅功60歳誕生日記念・浜田杯)・・




 先週5月11日(木)のTVプレバトの録画を、愚生は、前立腺がんの疑いによる検査入院(8年間で通算三度目の生検・結果は来週)のため、録画してあったのをようやく見たのだ。コロナ禍以降、まだ再開されいない遊句会の仲間である春風亭昇吉の登場だった。句の出来はまあまあ。よく、健闘して15位に食い込んでいた。もっとも、夏井いつきには、「お前しかおらん若葉風の改札」と添削されていた。夏井いつきも言っていたが、エピソードを盛り込むと、本人同士にはわかっても、第三者には、なかなか理解できないという側面がどうしても生まれる。ちなみに、今回の優勝者は梅沢富美男「夏シャツのコロッケ百個下げて来る」であった。



     撮影・中西ひろ美「春愁い黙っていたいだけだった」↑

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