善野烺「松虫といふ駅を過ぐ日の盛り」(『風の旅』)・・

 

 善野烺句集『風の旅』(文芸社)、その帯には、


風情を感じる季語が/鏤められた句集と/在りし日を思う随筆記

十七文字で詠う自然の美と豊かな情緒


 とある。また、著者「まえがき」に、


 長年の教員生活をニ〇一六年に辞し、ある俳句結社に入会し、俳句に夢中になって十年余り。俳人協会会員になり、二〇二〇年には第一句集『聖五月』を「善野行(・)の名で上梓しましたが、一昨年、所属結社を離れ、俳句同人「岬の会」創設を機に、俳号も古くからの知己には親しい「善野烺(・)」に戻しました。創作集の著書二冊も、四十年余りかかわっている文芸雑誌にも同名義で編集発行にあたっております。(中略)

 この本は、右に述べた意味では「善野烺」の初めての句集であり、また最後の句集になるかも知れません。己の拙い文学表現活動も人生とともに、そろそろ最終章。前の句集に載せた句で、とりわけ思い入れの強い句のいくつかをこの句集に再録した所以です。


 とあった。跋は、和田桃「善野烺さんの『風の歌』について」。その中に、


   教へ子に母の面影聖五月

 年下の、まして「教へ子」に母の面影を見たという句意には告白めいたものがある。作者の心に中に芽生えた、恋にも似た情感。母を思慕する思いを、ふと目に留めた女性徒の姿に重ねてしまう教師。「聖」の文字は、汚れのない尊い思いであることを醸し出しているようである。映画のワンシーンを思わせる印象的な句。第一句集の表題にしたという「聖五月」である。


 と、したためられている。そして、本集にはエッセイ「子午線物語」が収められている。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


     京都・野間宏の会

  誂への花明りさへ京料理             烺

  なにゆゑに痛む若さよ袋角(ふくろづの)

  名月を集めて母者は逝きにけり

     足立卷一『やちまた』を読む

  やちまたに迷ひつつ来し秋燈

  黄落も果て鎮まれる御霊かな

  大空に千の風あり死者の月

          (死者の月…カトリックの追悼月)

     特定秘密保護法可決(二〇一三年十二月六日)

  知らしめぬ治者の底意ぞ冬に入る

  震災の夜や凍てし手ににぎり飯

     餘部

  天空の駅や浦西風(うらにし)吹き曝し

  万緑の子午線上に生まれけり 

  下闇に踏み込んでゆく山ん谷

  皮剥ぎしはめの串刺し土用干し

  初めての駅はまぶしく花水木

  

 善野烺(ぜんの・ろう) 1957年、神戸市西区生まれ。

 


      撮影・鈴木純一「旱梅雨もとめるものはパンと王」↑

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