村上佳乃「亡父亡母亡夫茫々花の雨」(『空へ』)・・


村上佳乃第一句集『空へ』(邑書林)、小澤實「序にかえて」に、


  両腕に受け一本のどんこ榾       村上佳乃

   螺子ゆるめ螺子立ち上がる冷ややかに  同   (中略)

  

螺子をゆるゆると螺子が立ち上がった。螺子は何かと何かを固定するもの。決して主役にはならない。それがここでは主役となる。「冷ややかに」という季語が荘厳して、ささやかな螺子にあたかも仏像のような存在感を与えている。

 執着、単純化の極みにおいて生まれる華やぎ。不思議な句風である。  


 とあった。句集扉には、


  天上の夫 村上周平に献ず


 と献辞がある。また、著者「あとがき」には、


 (前略)二〇二二年四月一日、夫・村上周平は八ヶ岳でアイスクライミング中に雪崩に遇い、命を落としました。六十五歳でした。早期退職して八年、山岳救助隊として何度も表彰されるなど「山屋」として暮らしてきた人なので、さぞや無念だったと思いますが、三年たった今となっては「いい人生だったね、しゅうさん」と語りかけずにはいられません。(中略)

 私は元気です。でも、やっぱり「会いたいよ」とときどき空気に言います。

 俳句の話を少し、俳句は師と出会うことがとても大事な文芸です。(中略)

 澤入会まもない頃、小澤先生に添削を受けました。

「おしゃれな句は捨てて下さい」

「俳句をつくろうと思わないでください」

そんな言葉が今も残り、迷ったときに私を導きます。俳句は私を単純にしてくれるので、好きです。生きればいいんです。命ある限り。


 とあった。集名に因む句は、


  雲形や「空へ」と標し夫が墓      


 であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  もしもしいま代掻中でカタカタカタ       佳乃

  崖見れば登る夫ゐて木の芽風

  御柱曳かせてもらふ曳つぱらる

  大鹿村歌舞伎おシャシャのシャンに了

  ガソリンスタンド「窓拭きません凍るから」

  十二時間働いちまふ母の日よ

  シャワー当て褥瘡に湧く蛆流す

  梨剥きくれぬ包丁に刺し食へと

  介護士をアホと呼ぶ爺ひよんの笛

  フィンセント・ファン・ゴッホと鳴るよ麦の風

  葱散らしもつ煮や恋と劣情と

  みづうみにこほりはじめのみづのいろ

  犀に雪肩あることのさみしかり

  夜を駆けサンタクロース戦火の上

  ありがたう母言ひ過ぎや紙風船

  嘘だろ嘘だろ雪崩泳ぐと言ひし君

  エイプリルフール夫の身罷りぬ

  夜に入る氷湖の下の真水より

  初桜仰げば仰ぐひと隣る

  

 村上佳乃(むらかみ・かの) 1956年、神奈川県生まれ。


★閑話休題・・石川夏山「見たいのは死んだ自分と月の裏」(第5回「浜町句会」)・・


 6月6日(金)は第5回「浜町句会」(於:人形町区民館)だった。3か月に一度の開催というのは、毎月の会とは違って、いつも新鮮な感じがする。それに、様々な傾向の句があって興味深い。ともあれ、以下に、一人一句を挙げておこう。


  感情の奔馬の手綱晶子の忌         杉本青三郎

  神輿へと子も水打てり辻の影         宮川 夏

  ふかふかの四百字詰へと芒種         林ひとみ

  向島路地にはぐれて古簾           米原拓土

  時間とは人の決めごと蝸牛ゆく        赤崎冬生

  鉛筆はとがらせるもの修司の忌        川崎果連

  円天や万博と行列である           村上直樹

  少しだけこころ近づけアイスティ       田島実桐

  過ぎし日の母の足裏夏蒲団          白石正人

  生き死にのことなど語り梅雨晴間       石原友夫

  蕗の薹平和なればのえぐ味かな        武藤 幹

  四十雀タイパコスパと鳴いて飛ぶ       石川夏山

  浜焼の粋な声なりすだれ越し         杦森松一

  かげろうの蛇生れており砂漠の汀       大井恒行


 次回は、9月5日(金)。

  


    撮影・芽夢野うのき「遠雷やそこからさきはふたりです」↑

コメント

このブログの人気の投稿

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

秦夕美「また雪の闇へくり出す言葉かな」(第4次「豈」通巻67号より)・・

池田澄子「同じ世に生れて春と思い合う」(「くらら」創刊号)・・