髙橋宗司「人は詩を若葉は水を抱いている」(『清水公園界隈』)・・


  髙橋宗司作品集『清水公園界隈』(コールサック社)、解説に鈴木比佐雄「自由な羽ばたきで多様な表現領域を超えてゆく人―—高橋宗司作品集『清水公園界隈』に寄せて」、その中に、


(前略)初めの俳句二句は「月刊とも」の連載には引用されていなかった。本書のⅠ章の

二十四篇は全て俳句二句から始まっている。高橋氏からは俳句二句を冒頭に置くことでこの作品集を刊行することを決断されたと聞いている。私は既刊詩集二冊に関しては解説文を書かせて頂いた。高橋氏の詩の特徴は身近な事物や光景との掛け替えのない関係性の在りかを感動的に記し、叙事詩的でありながら根底には深い抒情性を感じさせてくれる作風だった。今回初めて高橋氏の「一 桜百選の街に暮らす」の冒頭に掲げた二句を読むと、その凝縮された表現の中には、詩作品とは異なる表現で世界の本質をどこか一挙に垣間見てしまい、その瞬間を読者と共有するかのような精神性を感じることができた。


とあり、著者「あとがき」には、


 砂時計のように桜花が降り続けている。

 風は時間の推移を示しながら桜の大木の上空にある。

 激しく揺れる梢。空は深い奥行きを見せて重なる桜花であふれている。

 一瞬風は立ち止まり、やがてふたたび今度は静かに吹き始める。

 見上げるわれらに花吹雪。花の洪水。

 時間の推移の妙に曳かれている。未来は残念ながら私に見えない。

 過去、古代、既に書いていることだが時間は永続する一本の弥。

 科学の世界も希求しつつ、古代、それも文字として遺されていない一八〇〇年前、弥生時代後半に関心が向いている。それほど遠いこととも思われない。当時の時間に戻れたらな。


 とあった。第一章「四季のうた」は、冒頭に二句、エッセイの中ほどに、詩篇が置かれる体裁になっていて、見開き2ページに収められている。いわば、どこのページを読んでもよい。他「Ⅱ エッセイ」、「Ⅲ 評論 俳句と私」、「Ⅳ 小説 夏の日に」の構成である。ともあれ、文中の句をいくつか挙げておこう。


  花吹雪側溝紅の棺となる        宗司

  プラトニックラブじんわり沈丁花

  放浪の行き着くところ蛇苺

  人恋うは野生の証夏あざみ

  蟬しぐれ名残りの熱が棲んでいる

  狂い凧住まわせており三面鏡

  リアリストの妻あり三月の詩集

  ガリバーの手になり土筆つんでいる

  健坊のベーゴマ強し柏餅

  ダリア群落曇天をつかまえる

  吾を訪う秋蝶吾の母のごと

  鳥帰ることば数から始まりぬ

  手をやればすっと身を引く梅三輪

  婚の日の白木蓮の揺れており


髙橋宗司(たかはし・そうじ) 1948年、埼玉県所沢市生まれ。



       撮影・中西ひろ美「深緑へ振り返らない背中かな」↑

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