垂水文弥「吹雪野をからくれなゐのヘッドホン」(「門」1月号・第457号より)・・
「門」1月号・第457号(門発行所)、「編集後記」には、「令和7年、隔月刊のスタート。新しい加藤閑さんの表紙デザイン気に入っていただけましたか」とある。その加藤閑は「現代俳句月評」で、筑紫磐井の「俳句」11月号作品16句について、次のように評している。
(前略)現在様々なところで詠まれる俳句、特に俳句総合誌に掲載される作品は、みな同じような方向に向いて洗練され過ぎているという印象を持つことがある。行儀よく形づくられているが、その分個性や面白みに欠ける。(中略)その名も「シュルレアリスム宣言(1924)」。(中略)しかしそんなことより衝撃的だったのは、この16句の作品は他の俳句作品から感じられる「俳句感」がないことだった。俳句の形をしているのに俳句の韻律や息遣いが感じられない。内容的にも解りやすい三句を挙げる。
科学的な、あまりにも科学的なてにをは 筑紫磐井
第四のアバンギャルドに虚子るなり
我は婆伽凡しあわせ夏の青い薔薇 (中略)
一句目は言うまでもなくニーチェの「人間的な、あまりに人間的な」のもじりである。しかも対象は「てにをは」。ということは作者の頭には生成AIによる俳句の作例への揶揄があるのかもしれない。二句目は第四のアヴバンギャルドへの虚子のコミットを想定し「バズる」や「映える」のノリで「虚子る」と言ってのけた痛快さ。三句目の「婆伽凡」は言わずと知れた赤塚不二夫の代表作「天才バカボん」そのもの。実際赤塚不二夫はこのタイトルに仏教的な背景があると述べているという。
断っておくが、これらの句が名作かどうかはわからない。筑紫磐井もそんなところでこの作品を書いてはいない。大事なのは今まで書かれたこのとのいない声をもった作品が書かれ、発表されたということだ。
とあった。もう一つ、付言しておくと筑紫磐井第二句集には『婆伽凡』(弘栄堂書店刊)がある。他に、「門作家作品評」に大塚凱、また、「第27回門賞」に石山ヨシエ、「第36回門新人賞」に芳尾志保、第23回「兼題賞」に中島悠美子、「第38回東門賞」に垂水文弥とあった。ともあれ、本誌より、以下にいくつかの句を挙げておこう。
輪廻転生・眉唾・闇阪・凍豆腐 鳥居真里子
雪激し戦場も斯く雪降るか 石山ヨシエ
寒の水胃壁よりきて我となる 芳尾志保
われに狼に喉仏とふ弧塔 垂水文弥
花冠冷え冷えと喉夜の檻 加藤 閑
俳諧の現形遺すでで虫は 中島悠美子
★閑話休題・・三上智恵監督映画「戦雲(いくさふむ)」(於:泪橋ホール・1月26日)・・
去る1月26日(日)午後2時より、南千住・泪橋ホールで上映される三上智恵監督映画「戦雲(いくさふむ)」を観に行った。上映のあと行われる「高井弘之さんのお話」にも参加したかったが、先約があり、それは失礼した。事前に配布されたレジメ「軍事化の最前線にされている沖縄を知り/その大前提とされている中国脅威論のからくりを学ぶ」を読むと、映画「戦雲」の描こうとしている世界が、島民の生活を通して、より切実なものだと理解できる。映画の司会は牧瀬茜氏がされていたので、お話の会でもそのままされたのだろう。牧瀬茜氏はは沖縄辺野古の海へ出かけて。ダイバーとして潜ったり。カヌーでの反対の海上行動もされている。愚生は、一度、彼女のストリップ劇場での踊りも見てみたいと思っている。
撮影・芽夢野うのき「水の匂い崩れゆく蘆に聞いてみる」↑
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