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赤崎冬生「国境の無き医師団や霜夜のガザ」(現代俳句協会第18回「金曜教室」)・・

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  本日、12月15日(金)は第18回現俳「金曜教室」(於・現代俳句協会会議室)だった。そして、愚生の好奇?高齢者入りの誕生日祝いを兼ねたサプライズの多い忘年会も開催された(深謝!!)。雑詠2句持ち寄り句会。以下に一人一句を挙げておこう。    神の留守猫の名前を変えてみる      川崎果連    足るを知る いえ足りません 寒雀    石川夏山    鮟鱇に良く似た人の名を忘れ       村上直樹    咳しきり気管支枯木似ておりぬ      石原友夫   冬の山眠る獣の息づかい         植木紀子   沈黙の騒ぎ出したる神の留守       武藤 幹    引き裂いたアリスの稲妻鰤起こす     岩田残雪    雪女龍蘇る夜叉ヶ池           杦森松一    小上がりの男三代葱鮪鍋         宮川 夏    神代まで兎を追うてかへりやんせ     林ひとみ    冬耕やどこか獣の気配する        赤崎冬生    こがらしよいまはむかしの万国旗     大井恒行     次回は、2月16日(金)、課題は「多行表記の俳句を作る」で2句持ち寄り。 ★閑話休題・・佐孝石画「手足とはこんなさびしい昆虫図鑑」(「狼・RO」Vol.49 より)・・  「狼・RO」Vol,49(狼発行所)。特集は「それぞれの実験室」と佐孝石画句集『青草』評、その評の執筆陣は田中信克「佐孝氏への手紙」、大沢輝一「『青草』に寄せて」、木村寛伸「俳句と方程式」、松田牧子「『青草』ー私の一考」、岡村知昭「危うさを抱える逞しさー句集『青草』の跋文としてー」。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。    けんけんぱー空から降ってくる遊び     阿木よう子    人体の闇を埋めゆく蝉時雨         松井麻容子    初夏の大きな音を出す図鑑          大沢輝一   楼門の焦げ語られず赤とんぼ         岡村知昭    把手のない空がありますつばくらめ      佐孝石画    花十薬まひるの風がみちている       関戸美智子    捨て台詞敬語変換して日永          木村寛伸    ジャズはそらみみ枯葉が走る音がする     舘百合子    遺伝子を凍土が守る鍵ひとつ         松田牧子          撮影・中西ひろ美「雪雲からふい...

木割大雄「鬱王の残党吾れに十二月」(「カバトまんだら通信」第44号・終刊号)・・

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 「カバトまんだら通信」第44号・終刊号(カバトまんだら企画)、木割大雄が畏友という榎本匡晃「じつのところ」に、   ある日ある時、関西俳句女流四天王といわれる西村和子先生、大石悦子先生、山本洋子先生、宇多喜代子先生の吟行会を計画したので運転手を頼む、と木割大雄からお願いされた。平成八年のことでした。 (中略)   ひとしきり一日の感想や俳句の話で盛り上がっていたところで、西村和子先生が、 「実は赤尾兜子の名前は知ってるけど、どんな人かあまり知らないのよ」 と木割大雄に向かって言われた。 すかざす宇多喜代子先生が、 「木割君兜子のこと書きなさい」 「わたしなんかが 兜子先生を語るなんて…、とてもとても」と、逃げの大雄。 「何言ってんの、いつまで二階で寝てるつもり、一階に降りて来てちゃんと働きなさい。私たちは一階で仕事してんのよ」と、宇多喜代子先生。 木割大雄、たじたじとなりながら「そやけど、俺一人では何もできないですよ」 すると宇多先生が、 「ここに、ええ相方がいるじゃない。」と、私を指した。 私は(えええっ!俺?、何をすんねん、どないしたらええねん?)とびっくり。 木割大雄は、ほぞを固めたように「そうやなぁ、ほな、やろうか」 「はあ、はい、どうしたらええんですか」と私。 「まあ、ぼちぼち考えるわ」と、木割。 (中略) 以上ののことがまぎれもない二十七年前の『カバトまんだら通信』の始まりのきっかけです。  とあった。最終号に相応しい充実の内容、目次をひろうと木割大雄のエッセイ「この名前憶えておけ」「兜子への旅」。資料⓵②③に時実新子「魚吹(うすき)の宮」「魚いる秋」「赤尾兜子小論ー中年の塔」の復刻。他に木割大雄は「想い出の時実新子」「断章―兜子先生の周辺」、資料④に「神戸新聞」(2022年2月4日の「日々小論」)、木割大雄「鬱王の残党 87句」など。   木割大雄は、スポーツニッポンに1984年から13年間、阪神タイガーズの試合があるたびに「虎酔」という俳号で俳句を詠み続けていた。今年の優勝には、次の句を寄せている(負ける時の句はすぐ生まれるのですが、という)。   秋のわが四番打者の泪 (なみだ) かな     虎酔 そして、その記事中には、「 あの85年10月16日、21年ぶりに優勝した当日 」は、    肌寒く勝利の中でふるえけり        虎酔 ...

星野麥丘人「花旺(さか)んカバもキリンもネンテンも」(『老いの俳句』)・・

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  坪内稔典『老いの俳句/君とつるりんしたいなあ』(ウエップ)、帯の惹句に、   あとがない!!ねんてんさんはあせっている。80歳の大台にのるのだ。言葉と関り、〈口誦性〉〈片言性〉を唱えてきたー。寄る年波を自覚しつつ。それを逆手に“跳び過ぎ“老人になるのだ!!もちろん老いと俳句の関係についての考察も、おさおさ怠りない、快進撃のエッセーである。  とある。「WEP俳句通信」に連載されたものを含む一本である。「俳句の傑作について」では、    俳句の傑作に二つある。一つは五七五のすぐれた表現がもたらす傑作。もう一つは月並み句としての傑作。    爛々と昼の星見え菌 (きのこ) 生え    去年今年貫く棒の如きもの  右の高浜虚子の句でいえば前者が「爛々と」、後者が「去年今年」である。 (中略)   月並みとは子規が言い出したことであり、発想や表現が陳腐・平板な句を指す。実は、作られている俳句のほとんどは月並みなのではないか、と私は思っている。あるいは、月並みではないが独りよがりに陥っている句だ。この両者が九十九パーセントを占めている、と断定してもよい。  つまり、俳句はほとんどが月並みか独善なのだ。その月並みと独善を超えて、たまに傑作が生まれるのである。もちろん、私もその月並みと独善のなかであれこれと試行している一人である。  かほどにネンテン氏、言うほどモーロクの気配がない。とりわけ「Ⅱ 俳句のある場所」の章の「口語をころがして」の中には、   (前略) 俳句は五七五という定型の詩、その定型には文語があう、という考えが広く浸透している。この考え、疑っていいのではないか。いや、この蔓延した考えをくつがえすことが今の時代に俳句を作る愉しみなのではないか。  実は、口語で発想し、口語によって表現することで、その都度、口語の文語化を試みている。書きとめて文にする行為は、言葉を文語に転じることである。すでに文語と認められているものを使うより、口語を使う方がはるかにスリリングではないか。私はそのスリリングに魅せられている気がする。   とあり、また「作者を読むのか、句を読むのか」、「俳句は問答」には、   (前略) 俳句は575の表現の技を競う文芸なのだ。だから、俳人として世に立つ人は、俳句の技で立たなければならない。  俳句の技で立つとはどういうことか。今まで...

加藤楸邨「落葉松はいつめざめても雪降りをり」(「新・黎明俳壇」第9号より)・・

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   「新・黎明俳壇」第9号(黎明書房)、特集は「芭蕉『おくのほそ道』の名句を読む」。扉に武馬久仁裕は「 本特集では、その『おくの細道』の前半・後半から各一句ずつ選び10のペアを作りました。それを、現在活躍中の気鋭の俳人10人に鑑賞していただきました。芭蕉の名句をペアで鑑賞する楽しさ、面白さを味わってください 」という。その10名の鑑賞者は、なつはづき・小枝恵美子・川島由紀子・山科希・かわばたけんぢ・横山香代子・二村典子・川嶋ぱんだ・村山恭子・田中信克である。  特集以外の記事・前野砥水の「私の海外詠⑧/ポートレート・イン・アルプスエッツタール渓谷」が面白かった。     氷河融け遅き目覚めのアイスマン   砥水 (とど)   儂は三十余年前アルプスの氷河から目覚めた「エッツィ」じゃ。階級社会の黎明期に才覚を発揮した儂を羨む者に襲われ、アルプス山脈へと逃れたが、追っ手から肩に矢を受け此れが致命傷となってしもうた。痛恨の極みながら我が怨念が届いたのか温暖化の所為なのか、五千年ぶりに氷河から解放されることが出来た。  それにしても暫く眠るうちに随分と暑くなった。 (中略) たいそう生き辛そうじゃ。まあ~心配はいらんて、直に海水面が上昇するから、皆して水面下に沈むのじゃ!!  ともあれ、以下に本誌より、いくか句を挙げておこう。    世の人の見付けぬ花や軒の栗  (須賀川)  芭蕉    象潟や雨に西施がねぶの花   (象潟)    〃   鬼百合を眺めてをれば雨が降る      岡本亜蘇     大寒の人きてひとの死を言ひぬ      内田美紗    まくなぎを払いのけつつ友来たる     太田風子    しんしんと肺碧きまで海の旅       篠原鳳作    妻と目の合いたる宵や虎落笛       北野武志    さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ   河東碧梧桐    涼しげなスイカ描かれた自由帳     宮本朝陽香(第40回・特選)    ゴキブリより素早し妻がスリッパは    海神瑠珂(〃・ユーモア賞)     鰯雲のそりのそりと猫が来る       本田映子(第41回・特選)    盛りには文句も出ぬが残暑では     岡崎亜佐子(〃・ユーモア賞)    苦瓜にひとついただきますという    武馬久仁裕(選者詠)          撮影・鈴木純一「駅弁の...

正岡子規「傾城の悟り顔なり蓮の花」(『よもだ俳人 子規の艶』より)・・

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  夏井いつき・奥田瑛二 著『よもだ俳人 子規の艶』(朝日新書・850円+税)、「はじめに」の夏井いつき「『よもだ』という勲章」に、  (前略) 伊予の言葉に「よもだ」というのがある。  「あの人は『よもだ』じゃけんとか、『よもだ』ぎり言いよる」とか、そんな使い方をする。「へそ曲がり」というか、「わざと滑稽 (こっけい) な言動をする」というか、そんなニュアンスだ。 (中略)  松山市立子規記念博物館名誉館長であった天野祐吉さんが「ソッポを向く人」という題名で子規について書かれた文章がある。 (中略)  「ソッポを向く」ことは「よもだ」に通じるものではあるが、「よもだ」という言葉は一筋縄ではいかない複雑な意味を内包している。天野さんは、「よもだ」という言葉について、別の文献で以下のように分析しておられる。   標準語で言うのはとてもむずかしい。が、乱暴を承知で言ってしまうなら、「反骨の精神をおとぼけのオブラートで包んだような気質」ということになるだろうか。  そうなのだ。まさにこれが「よもだ」の真髄というヤツだ。 (中略)  若くして罹患 (りかん) した死病(結核菌による脊椎カリエス)の床には、仲間や弟子がいた。伝染する病にもかかわらず、子規の病床は子規を慰めようと、金魚玉を携えてくる者、扇風機のようなものを持ってくる者など引きも切らずに誰かがいた。「よもだ」の子規を、誰もが愛していた。  今回、俳優であり映画監督でもある奥田瑛二さんに初めてお目にかかった。週刊誌選句欄の選者でもある彼は、俳人でもある。 (中略)  俳句を愛する者同士、 (中略) 子規の秀句名句を深掘りするものだと思っていたら、彼がいきなり取り出したのは、傾城 (けいせい) や遊女を詠んだ句群。自らそれらを「艶俳句 (つやはいく) 」と名付け、それら一句一句から広がっていく映画的世界観について熱弁を振るい出した。  子規が先輩の一念について遊郭に行った記述があることや、遊女を詠んでいる句があることは知っていたが、こんなに沢山詠んでいることは今回初めて知った。それもこれも、奥田瑛二という堂々たる「よもだ」との出会いがあってこその発見だった。  とあった。本書は、第一夜が松山、第二夜は東京、第三夜は道後の湯で語りあっている。さらに。両人のそれぞれの子規の「推し十句」が選ばれ、内三句は「艶俳句」である。...

和田悟朗「白鳥や空母浮かんでなにもせず」(『和田悟朗の百句』より)・・

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 森澤程『和田悟朗の百句』(ふらんす堂)、巻尾の森澤程「認識と感覚の立体交差」の和田悟朗「科学と俳句」の引用の中に、  (前略) 俳句が文学かどうかは意見の分かれるところであるが、ぼくは文学であるという立場に立つ。文学の対象には恣意 (しい) 性があるが、それはいい加減というよりは、文学の一回性という必然である。科学の方でも、何に興味の焦点を絞るかという点にやはり恣意的な必然があろう。科学の再現性というのも、単純化した系で近似的にだけ再現可能なのであり、正しくはやはり事象は一回きりしか起こらない。また、思い切っていうなら、科学も俳句もその表現はことごとく比喩であると思う。  とあり、森澤程は、     うそ寒の水銀玉となりたがる  『七十万年』  水銀という物質に対し、自らの体験や感覚が接ぎ木されている。これは擬人化とは風合いを異にする表現意識、あるいは方法であると感じる。「うそ寒」という季節の共通感覚をベースに、「水銀玉となりたがる」は、水銀も寒くてまるくなるのだという悟朗の体感ともいうべき表現となっている。  と述べている。また、和田悟朗は、赤尾兜子亡き後の「渦」誌をよく支えた思う。一例を挙げておきたい。      機関車の軌跡は消えず鬱王忌     『人間律』                       平成17(二〇〇五)年刊   大雷雨鬱王と会ふあさの夢 赤尾兜子『歳華集』  「鬱王忌」は赤尾兜子のこの句からとられたのだろう。兜子の年譜には「昭和56年3月17日午前8時5分、自宅付近の踏切にて急逝」(『赤尾兜子の世界』和田悟朗著)とある。「鬱王」は漢籍に通じる兜子らいし造語で、兜子句の「あさの夢」には、鬱の絶望の極みにおける透明感や矜持も感じられる。  「機関車の軌跡」に、次の句を思う。    機関車の底まで月明か 馬盥   赤尾兜子『歳華集』 ともあれ、以下に句のみになるが、いくつかの句を挙げておこう。   みみず地に乾きゆいくとき水の記憶       悟朗   秋の入水眼球に若き魚ささり   かたつむり葉の南端に陽を見張る       妻死す   かの髪の幾万本に青あらし   かぐわしく少年醒めて蟬の仲間   春の家裏から押せば倒れけり   永劫の入口にあり山さくら   古時計鳴るにんげんの春の声   夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし   即興に生まれて以...

久保田万太郎「人情のほろびしおでん煮えにけり」(『久保田万太郎と現代』より)・・

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  慶応義塾大学『久保田万太郎と現代』編集委員会編『久保田万太郎と現代/ノスタルジーを超えて』(平凡社)、序は関根謙「万太郎の示した道」には、    久保田万太郎があまりにも想定外の出来事によって急にこの世を去ったのは一九六三年、万太郎七三歳の初夏だった。その前年、正確には半年ほど前に、万太郎は自己の著作権の一切を慶応義塾に寄付すると表明していた。銀座で開かれた自身の誕生祝いの席上でのことである。今から六一年前のその日の久保田の決意が、本記念出版の直接の種子となった。 (中略)  本書『久保田万太郎と現代』は三部から構成されており、三〇名を超える執筆者の熱のこもった文章が、まさに百花繚乱のように配列されている。第一部「文学の巨人・久保田万太郎」では、久保田万太郎を慶応義塾および『三田文学』との関りを踏まえつつ、永井荷風、水上瀧太郎、折口信夫などとの交流・影響について詳しく論じている。 (中略) 第二部「万太郎を知る」では、特に久保田万太郎をよく知らない世代の読者に向け、久保田万太郎の文学者としてのイメージ、その人生の足跡、その人格と個性を、万太郎の生きた東京浅草をはじめ大阪、鎌倉などの生活圏、さらには戦前と戦後に旅した中国との関係も注視し、時間軸と地域空間を縦横に網羅して詳しく紹介している。 (中略) また第三部「万太郎発見」では、現代の久保田万太郎研究の成果がまとめられている。 (中略)    本書ではこうした論考のほかに、現在日本の文芸界各領域で活躍中の方々に、久保田万太郎についての思いをエッセイという形でお寄せいただいた。  とある。俳人の論考は、恩田侑布子「 やつしの美の大家―近代俳句における万太郎の位置 」、髙柳克弘「 一七音のかげ 」、行方克巳「 三田俳句の流れ、そして万太郎 」,鈴木直充「 『春燈』主宰・久保田万太郎―独自の結社観と選句姿勢 」である。その他愚生の好きな作家に出久根達郎「 寒おすな 」、池澤夏樹「 『木津麗奈屋』から『大寺学校』へ 」、村松友視「 謎の怪魚 」、吉増剛造「 万太郎ノート 」、四方田犬彦「 脚色家の矜持 」、荻野アンナ「 世間話の文学 」などがあった。ともあれ、以下に本書中より、いくつかの句をアットランダムに挙げてこう。    うちてしやまむうちてしやまむ心凍つ       万太郎      ハ月六日    あさが...