正岡子規「傾城の悟り顔なり蓮の花」(『よもだ俳人 子規の艶』より)・・
夏井いつき・奥田瑛二 著『よもだ俳人 子規の艶』(朝日新書・850円+税)、「はじめに」の夏井いつき「『よもだ』という勲章」に、
(前略)伊予の言葉に「よもだ」というのがある。
「あの人は『よもだ』じゃけんとか、『よもだ』ぎり言いよる」とか、そんな使い方をする。「へそ曲がり」というか、「わざと滑稽(こっけい)な言動をする」というか、そんなニュアンスだ。(中略)
松山市立子規記念博物館名誉館長であった天野祐吉さんが「ソッポを向く人」という題名で子規について書かれた文章がある。(中略)
「ソッポを向く」ことは「よもだ」に通じるものではあるが、「よもだ」という言葉は一筋縄ではいかない複雑な意味を内包している。天野さんは、「よもだ」という言葉について、別の文献で以下のように分析しておられる。
標準語で言うのはとてもむずかしい。が、乱暴を承知で言ってしまうなら、「反骨の精神をおとぼけのオブラートで包んだような気質」ということになるだろうか。
そうなのだ。まさにこれが「よもだ」の真髄というヤツだ。(中略)
若くして罹患(りかん)した死病(結核菌による脊椎カリエス)の床には、仲間や弟子がいた。伝染する病にもかかわらず、子規の病床は子規を慰めようと、金魚玉を携えてくる者、扇風機のようなものを持ってくる者など引きも切らずに誰かがいた。「よもだ」の子規を、誰もが愛していた。
今回、俳優であり映画監督でもある奥田瑛二さんに初めてお目にかかった。週刊誌選句欄の選者でもある彼は、俳人でもある。(中略)
俳句を愛する者同士、(中略)子規の秀句名句を深掘りするものだと思っていたら、彼がいきなり取り出したのは、傾城(けいせい)や遊女を詠んだ句群。自らそれらを「艶俳句(つやはいく)」と名付け、それら一句一句から広がっていく映画的世界観について熱弁を振るい出した。
子規が先輩の一念について遊郭に行った記述があることや、遊女を詠んでいる句があることは知っていたが、こんなに沢山詠んでいることは今回初めて知った。それもこれも、奥田瑛二という堂々たる「よもだ」との出会いがあってこその発見だった。
とあった。本書は、第一夜が松山、第二夜は東京、第三夜は道後の湯で語りあっている。さらに。両人のそれぞれの子規の「推し十句」が選ばれ、内三句は「艶俳句」である。
「おわりに」は、奥田瑛二「子規のダンディズム」、その中に、
(前略)死生観さえ見えてくる艶俳句では、己と生と性をとことん客観視し、不治の病を克明に詠む辞世の句では、絶望さえも短調にしない。いったい彼の眼はどれほどまで世の中を観る能力に長けていたことだろう。想像するだけで、ひとりのダンディな男がありと顕れる。
ふきもせぬ風に落ちけり蝉の殻
この句もなんという透徹な視線だろう。
明治二十四年の作というから、子規が二十四歳の時に詠んだ句だ。帝国大学に通う学生の若者だ。
ともあった。対談の中身はここには記しきれないので、是非、本書に当たっていただきたい。TVプレバトとはちがう夏井いつきの貌も伺える。因みに、奥田瑛二が寂聴に付けられた俳号は「寂明」。
あじさいや雨に打たれて生き急ぐ 瑛二
巻末の「子規の艶俳句」一覧には、500句ほどの句が制作年を記して収載されている。いくつかを以下に挙げておきたい。
色里や十歩はなれて秋の風 子規
虫干や釈迦と遊女のとなりあひ
女郎買をやめて此頃秋の暮
大門や夜桜深く灯ともれり
牡丹載せて今戸へ帰る小舟かな
一本の菫あらそふ局かな
島原の一本桜古りにけり
居つゞけに禿は雪の兎かな
きぬぎぬを朝顔の花にみられたり
きぬぎぬに蚤の飛び出す蒲団哉
傾城の噛み砕きけり夏氷
流産
水の月物かたまらで流れけり
傾城の瓶にしぼみし牡丹哉
傾城の潮干見て居る二階哉
裏町は鶏頭淋し一くるわ
出女のあくびして居る日永かな
戀にうとき身は冬枯るゝ許りなり
朝顔に傾城だちの鼾かな
青梅や傾城老いて洗ひもの
世の人にふまれなからや花すみれ
辻君のたもとに秋の蛍かな
行く秋の月夜を雨にしてしまひ
夏井いつき(なつい・いつき)1957年、愛媛県生まれ。
奥田瑛二(おくだ・えいじ) 1950年、愛知県生まれ。
撮影・中西ひろ美「待つ人に日差し届けよ帰り花」↑
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