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坪内稔典「三月の甘納豆のうふふふふ」(現代俳句協会令和8年度定時総会・表彰式・第26回現代俳句大賞)・・

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                  坪内稔典氏↑   3月21日(土)は、現代俳句協会令和8年度定時社員総会・表彰式(於:東京・東天紅上野店)だった。第26回現代俳句大賞に坪内稔典、第43回兜太現代俳句新人賞に内野義悠「雨滴の雨」、髙田祥聖「ゐしころ」の授賞表彰式が行われた。  愚生は、総会議案について、議案書の14「②俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協鵜議会への支援」について、動議「 今後も推進活動を継続していくのか、あるいは継続しないのかの賛否をを問う全会員(社員)の投票を実施していただきたい 」を出し、「 その上で、賛成が多ければ、これまで通り、運動を継続し、もし、反対が上まわれば、推進活動から、すみやかに離脱する」 を主張するも、動議の提案の議場採決は行われないまま(動議に対してのルールに反していると思うが)、予定されていた議事の時間もずれ込み、懇親会の皆さんをこれ以上待たせるのも忍びなく、議長の「それは実施しない」の一言をもって議事を終了。現在、推進運動は、遺産登録に際して「俳句は有季無季を含むという三協会の合意は成立」しているが、その先の問題をどう展望するのかという、実質的な問題を論議するべき段階に入っているのだと言っておきたい。推進運動側は、それらを提示する義務がある(基金の分配先、真に遺産への投資になりうるのか)。まさに「豈」38号で干場達矢が「価値について」で指摘したように、     俳句の危機があるとしたら、俳人が俳句を書く以外のことに気が散ってしまうことだろう。これはナイーブなことを言っているのではない。文化象徴の機序とは常にそういうものである。 のだろう。                左側、内野義悠・髙田祥聖↑  ともあれ、現代俳句大賞、兜太新人賞、おめでとうございます。  鬼百合がしんしんとゆく明日の空       坪内稔典(つぼうち・ねんてん)                         1944年、愛媛県生まれ。   ホットミルク雨滴の窓を浅眠り        内野義悠(うちの・ぎゅう)                         1988年、埼玉県生まれ。  髪洗ふみづはいつ眠るのだらう        髙田祥聖(たかだ・しょうせい)                         1987年、神奈川県生まれ。       撮...

蕪村「凧(いかのぼり)昨日(きのう)の空(そら)の在所(ありどころ)」(「図書新聞」3729号・終刊?!より)・・

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 「図書新聞」3739号・2026年3月28日(土)(武久出版)、増頁号・特集は「図書新聞と私」。執筆人は、吉増剛造、粉川哲夫、小池昌代、鵜飼哲、佐藤泉、四方田犬彦、中村隆之、巽孝之、澤田直、塚原史、西谷修、川崎賢子、中村邦生、長岡真吾、守中高明、栗原康、ブレディみかこ、石原俊、高橋順一、大澤聡、新城郁夫、足立正夫。連載の岡和田晃「〈世界内線〉下の文芸時評」第133回も最終回。   吉増剛造「 荒天の昨 (きぞ)、 …… 」には、 (前略) 凧 (いかのぼり) 昨日 (きのう) の空 (そら) の在所 (ありどころ)/(蕪村)   この“空“は、深海の火のような命のことでもあるのであって、灰色と青とが、雑 (まじ) って、濁 (にご) っているのだ、土気色 (つちけいろ) に。海底の荒天なのでも、あるのであって、“とうとうとう“これが魚 (おさかな) が怒って、吐く息でもあるのだ。このような“荒天の昨 (きぞ) 、……“は、日刊紙にはない。  もしも、とうとう、……言葉 (ことば) から“棒のようにして“母音 (ぼいん) が、曳 (ひ) かれたら、……。   もしも、とうとう、……時間 (じかん) から“棒のようにして“、昨 (きぞ) と明日 (あした) が、曳 (ひ) かれたら、……・  彗星棍棒 (すいせいこんぼう) の傷口が輝いて残る、……・わたくしたちは、この“残るものに“賭けるもの“だ。 (以下略) 「図書新聞」前号・3728号・2026年3月21日(土)「の共和国」の広告には、 今の与党やその取巻き有象無象馬鹿野郎たちを拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌をかけて人を陥れる事よりほかに何も知らないようだ。こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。(……)日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。なさけない事だ。/夏目漱石『吾輩は猫である』よりほぼ原文のママ  とあった。愚生はと言えば、社長だった頃の井出彰には随分世話になった。『本屋戦国記』の折のインタビュー記事、書店についてのコラムや、時評欄「俳句クロニクル」を2年間担当させていただいた。その間の編集担当の方々にもお世話なった。深謝!!               挨拶をする水野星闇氏↑ ★閑話休題・・大森敦夫「やはらかき里の会...

濱筆治「駱駝射る日差しミサイル涅槃西風」(第51回「きすげ句会」)・・

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   3月19日(木)は、第51回「きすげ句会」(於:ルミエール府中)だった。兼題は「松」。以下に一人一句を挙げておこう。    大地焦げ阿蘇の野焼きの空の青       濱 筆治    半熟の卵くずさず春の息          高野芳一    一面のホトケノザ千の小仏座らせて     山川桂子    合コンの無言のツアーいちご狩り      杉森松一    大國魂まつ (・・) は要らぬと笹飾り    清水正之    今年また背筋正すや古雛 (ふるひいな)  新宅秀則     松竹梅の松たのしみて春御膳       久保田和代    桃の花手話で髪留めほめのけり       寺地千穂    門松に子らの成長セピア色        大場久美子    三・一一あの日たしかに母はいた      井上芳子   瞑想の春の象 (かたち) は消えゆく愛    大井恒行 次回は、4月16日(木)、兼題は「風」。 ★閑話休題・・米田鉄也「捨舟に二日の雪のつもりけり」(月刊「ひかり」3月号・「西山俳壇」より)・・  月刊「ひかり」3月号・「西山俳壇/城貴代美選」(西山浄土宗総本山光明寺護持会)。その他の特選、入選した句のいくつかを挙げておこう。    冬夕焼じやんけんぽんの兄妹      大分市  角谷紀子    落胆のため息にして息白し       東海市 大村すみ代    鳥総松一枝折り挿し清し朝       糸島市  湯川蕉子    玉椿星散りばめてネイルの娘      京都市  黒田十和    元朝の駅で洗いし旅の貌        摂津市  山上鬼猿       餅花の揺れて昭和のアーケード     芦屋市  門脇重子    グローブでぬぐう涙やすみれ草          城貴代美(選者吟)        撮影・中西ひろ美「水色の背中めがけて春の鳥」↑

今宿節也「お化け煙突二本の場所まで春の土手」(『宝瓶宮(ほうへいきゅう)』)・・

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  今宿節也句集『宝瓶宮(ほうへいきゅう)』(コールサック社)、解説は鈴木光影「星と芸術を愛する音楽家俳人が奏でる豊穣の天体図—-今宿節也句集『宝瓶宮』に寄せて」。それには、   本書を繙くと、今宿節也氏を取り囲む豊かな星々がひしめく夜空を眺める思いがする。それは文字通りの天体の星だけでなく、多分の野芸術やそれを生み出す芸術家たち、言葉、文化、自然が奏で織りなす豊穣の天体図である。 (中略)    宝瓶 (ほうへい) の水美酒 (みずみき) ならむ魚ぞ酔ふ  最後に、節也氏と私は祖父と孫ほどの歳の差があるにもかかわらず、このたび解説を務める機会をいただいたことに深く感謝申し上げたい。俳縁に加えて、生まれ月が同じ水瓶座という星縁のなせる業かもしれない。水瓶座の天文学上の名称・「宝瓶宮(ほうへいきゅう)」に込められた水の流れは、多彩な音色を奏でて、星と芸術を愛し平和を希求する多くの読者の元へと届いてゆくことだろう。 とあり、著者「あとがき」には、   子供の頃から絵ばかり描いていたが、小学生時代中村立行先生に師事、氏は後に写真家として名を成した方である。なんでもいいから自由に描けと言われ、自由の難しさを知った。兄から小学四年の頃メロディを記譜する方法を伝授された。興味は音楽へと変わってゆく。一九三年にプラネタリウムで覚えた星がスバルで、野尻抱影先生の名解説を聴き、以来文通を始めた。ニ吋 (インチ) 半の望遠鏡を自作し、星団や星雲などを渉猟しその美しさに驚嘆。戦時中は宮沢賢治の思想に感銘し、敗戦で作曲への道に進むことを誓った。その翌年に抱影先生は山口誓子との共著『星戀』が話題となる。誓子の星の句は新鮮で、抱影の随筆も亦さすが天文学 (てんぶんがく) と自称するだけあって絶品だった。  その後私は池内友次郎(高浜虚子の次男)門下の貴島清彦先生に作曲を師事する。氏も亦賢治を敬愛し、私の周辺に賢治、音楽、俳句に相関する人が増えていった。 (中略)    私の俳句は二〇二一年の春から始めたばかりだが、俳句の本は戦時から親しんでいたし、兄は中学時代に俳句をはじめて、後年岸田稚魚の流派に所属していた。私も川端茅舎や種田山頭火の句に作曲し、俳句には何かと縁があった。現在は俳人・俳論家の武良竜彦氏に学ぶことが多い。  とあった。集名に因む句は、    宝瓶宮 (ほうへいきう) 幽 (かそ...

堤きこ「その時のいつか来るらし花卯木」(『魔法のことば』)・・

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  堤きこ第一句集『魔法のことば』(俳句アトラス)、序文は林誠司、その中に、  (前略) きこさんの本名は紀子 (のりこ) 。俳句を始め、いくつかの句会に参加した時、「のりこ」という同名の人がかなりの確率でいたので「きこ」とした、と聞いた。奇しくも秋篠宮妃と同名であるが、そこに深い意味はないと思う(笑)。 (中略)  次に「等身大」について。個人的経験だが、私は俳句を始め「河」に入会し、角川春樹先生の指導を受けたのだが、春樹先生から「お前の俳句はどれも等身大なのがいい」と誉めていただいたことがある。等身大とは「ありのまま」ということ。自分の暮らしや想いを背伸びせずに率直に詠っている、ということだろう。以来、私は「等身大の表現」を強く意識して作句してきた。なので、等身大は私にとっても重要で、きこさんの俳句に憧憬さえ感じる (中略)   句会で点数を取りたい、人から高い評価を得たい、という思いから、われわれは過度な装飾や背伸びを俳句でしてしまうことが多い。自分の心を過度に装飾することは「等身大」から離れてゆく行為。きこさんの句を高く評価するのは、そういった他人の評価から超然とし、自分の心や俳句に嘘をつかず、過度な装飾表現を加えないことである。言うのはたやすいことだがなかなか出来ることではない。  とあり、著者「あとがき」には、  俳句にはかねがね興味を持っていたが、結婚後は主婦業に専念し、なかなか機会を得られなかった。  ようやく心にも生活にも余裕が出来、子供たちも自立して、十五年前の七十歳の古稀の時、杉並区の角川庭園にて「はじめての俳句」講座を受講した。 (中略)  俳句は十七文字と季語で成立し、心のおもむくままに表現せず、季語との取り合わせで表現することに魅力を感じている。その後、日常の生活から詩を見出していく楽しさも知った。 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。   雲の峰心配ごとはつくられる       きこ    風花や母は楽しく徘徊す   交番に宅配ピザや冬隣   老一人子雀一羽梅一輪   エレベータースーツ二人の秋思かな   きりぎりす「まあそう言わず生きてろよ」   秋深しチラシの裏の五七五   母の手を離さぬやうに冬に入る   献杯のことば途切れし蟬時雨   父も母も友も生きてる昼寝覚   初恋はアルバム...

星野佐紀「涅槃図の中天白き月か日か」(『不東』)・・

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 星野佐紀第一句集『不東』(朔出版)、序は中西夕紀。その中に、   佐紀さんの佐紀は奈良の佐保路、佐保路の佐紀から採られた俳号である。私が「都市」を立ち上げてまもなく、都市の仲間と吟行を計画したとき、佐紀さんから「奈良に昔住んでいた家があるから泊まりませんか」と誘って頂いたのが、コロナが起こるまで十年以上続いた年に一度の奈良吟行の始まりだった。 (中略)    奥つ城の冴ゆる柳生家八十基   朔風や高き窓より廬舎那仏  佐紀さんはまっすぐ対象と向き合って、朗々と詠い上げる。だから成功すると、姿の良い風格のあるものが出来上がる。ここで掲げた句も切字が効果的に使われ堂々としている。 とあり、著者「あとがき」に、   夫の海外駐在に伴い、タイのバンコクで長女を、旧西ドイツのハンブルグで長男を出産し、十数年に及ぶ海外生活を終えて昭和五十七年、奈良県生駒市に居を構えた。帰国子女だった子供達も何とか日本の生活に慣れ、家族全体が落ち着きを取り戻した頃、「紙と鉛筆があれば、あなたも作れます」というキャッチフレーズに惹かれ、近所のカルチャー教室で俳句を始めた。文芸とは凡そ縁のなかった私が、なぜか俳句を詠んでみようと思い立ったのだった。  その後、夫は義父が開発した天然酵母パン種の事業を手伝うため退職し、家族で東京・町田市に居を移した。平成二十三年に夫は他界したが、生涯現役を貫きたいと、私は今も夫が義父から受け継いだ仕事に細々と関わっている。 とあった。集名に因む句は、    玄奘の不東思へば指冴ゆる       佐紀  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。    耳成山 (みみなし) も畝傍山 (うねび) も浮きて初霞   春寒し壁に影置く伎芸天   灯涼し南燭 (しゃしゃんぼ) の咲く佐紀神社   自問自答して料峭の波音に   新涼や机上に重ねたる白紙   碧き海青き空のみ昼寝覚   麗かや舗道の線は国境   角伐りや白き枕の地に置かれ   春寒や今朝の生駒山 (いこま) の深縹 (こきはなだ)    水草生ふ水面をきざむ白き月   履きしまま長靴洗ふ春の川   業平忌浮葉は銀の玉を乗せ   大役を果たしひとりの柚湯かな   紅茸や八十路にもある恋心     星野佐紀(ほしの・さき) 昭和16年 東京都生まれ。      撮影・中西ひろ...

赤野四羽「燕の巣があります真摯へ帰る」(「noi 」vol.11より)・・

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 「noi」vol.11(俳句雑誌noi)、特集は「口語俳句の沃野 その多様性と可能性」。その特集の扉には、  noiには「野風抄」という、一年を通じて同じテーマで作品を寄せる「年間テーマ作品」欄があります。2025年、記念すべき初年のテーマは「口語」でした。口語と何か、俳句とは何か……。誌面を通して互いに試行錯誤しながら重ねてきた道程を振り返る。総まとめの企画です。  とあり、論考に赤野四羽「口語俳句とNew Sincerity」、柳元佑太「分け持たれ得ないわたしによる分け持たれたわたしの分け持ち」、山口優夢「構成主体と作中主体 肉声を絞り出すための口語俳句論」、加えて「野風抄 2025 誌友一句鑑賞 記憶に残る一句」である。全部、紹介したいが、無理なので、興味のある方は、直接、本誌にあたられたい。ここでは、赤野四羽の一部を以下に引用しておきたい。  (前略) さて、一口に『口語俳句』といっても、実態としては大きく二つのタイプに分かれています。それは『会話体俳句』と、『非文語俳句』。『会話体俳句』とは典型的には、   「春雨じゃ濡れて行こ」とはよう云わん     武子     「小惑星来るんだってよ」「わあ桜」     陰山 惠   でも先に熊が住んでいたんでしょ     増原まみ のように、口語会話のセリフの引用の形をとる、あるいはそのままセリフになり得る形で一句を成立させる方法です。 (中略)  冒頭で述べたように、口語俳句というのはこれまで俳壇の大勢が避けていた、新たな『感性の配置』と考えることができます。虚子以降の多くの俳人がスローガンとしていた『客観写生』『花鳥諷詠』からは、口語俳句の流れは生まれてきませんでした。つまりそこには虚子を超えるなにかがある、ということになります。  結論からいうと、口語俳句の実践は、俳句という文学の『新誠実性』『不透明性』『音韻性』を高めると考えています。 (中略)   では、口語俳句はどのように『新誠実』に接続するのでしようか。   ねえはるかぜ分断の起点はどこ      福田春乃   選挙に汗わすれられとるんかな能登    本城 清   みんなにはみんなの鬱と乳酸菌      嶋村らび    (中略)  では次の『不透明性』はどうでしょうか。   ごはんつくりたくない夜のさくらもち   東田早宵   ぶ...

三宅深夜子「大西瓜叩けば返事ありにけり」(「天晴」21号)・・

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 「天晴」21号(発行人・津久井紀代/編集人・杉美春)、主要記事は「第二回天晴賞発表」。選者は筑紫磐井・角谷昌子・津久井紀代。正賞は三宅深夜子「関西真夏」、準賞は中嶋秀二「ハザードマップ」、佳作に田中進一「忌日」、松浦泰子「熊野三山」、森巴天「カエサル忌」、堀場美知子「函館~道南」、川崎果連「秋思」、村上麦處「メメント・モリ」、杉美春「春雨の匂ひ」、木村内子「老いの春」、井口如心「あしおと」。以下に、それぞれ句を挙げておこう。    アッパッパ通天閣を降りて来し      三宅深夜子   春寒し三食ジャンクフードの日       中嶋秀二    河童忌やインクのにじむ一筆箋       田中進一    交番の巣をそのままに燕去ぬ        松浦泰子    端居すやいつもの嘘を聞きながら      森 巴天    夏惜しむ山ふところへ長き貨車      堀場美知子    老木をなぶる木枯あきつしま        川崎果連    目指すのは補陀落とかや冬の波       村上麦處    甘噛みの小さき牙や冬の月         杉 美春    「いせ辰」にぽち袋あり年用意        木村内子    二度読みの二度目の涙冬日向        井口如心      撮影・芽夢野うのき「駆け抜ける葉牡丹の花咲くみぎり」↑

大澤千里「廃屋に音なく今朝のみぞれ降る」(「立川こぶし俳句会」)・・

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  3月13日(金)は、立川こぶし句会(於:立川市女性総合センター アイム)だった。以下に、一人一句を挙げておこう。    豪雪のかくも重たき白さかな        井澤勝代    初音へと鳴き返しつつ歩みけり       三橋米子    鴨の足春の湖水にせわしなき        大澤千里    やわらかな光となりて雪柳         山蔭典子    五合庵良寛らしき白梅花          和田信行   スケッチの山茱萸の花天をつく       高橋桂子    夢おぼろ喋々結びに四苦八苦        川村恵子    風まかせあてなき旅や柳絮とぶ       伊藤康次    ひと日生きてひと夜迎える老いの春     大井恒行     ★閑話休題・・野谷真治「店の秋ほのかほどけるほどの茶碗」(「自由律俳句協会ニュースレター」No35より)・・  「自由律俳句協会ニュースレター」35号(自由律俳句協会)の投句欄「自由律の泉」㉙の「泉㉘より一句鑑賞」のコーナーがある。その最初に、    店の秋ほのかほどけるほどの茶碗      野谷真治  ▼立ち寄ったお店、茶碗といったささやかなものから詩を起こす。音やリズムjを重視する。この句も「ほ」の音のくり返しで、しみじみとした声調になっている。日常を詩化する人。あなたの早すぎる死が悲しい。(金澤ひろあき)  とあった。野谷真治(のたに・しんじ)は、昨年11月14日に急逝。享年64だった。惜しまれる。       撮影・中西ひろ美「風化して鳩となる日の黄色かな」↑

原満三寿「落椿 佳き今生と風の客」(『なんの途中』)・・

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 原満三寿第13句集『なんの途中』(私家版Ⅱ) 。表紙の装画は日和崎尊夫(小口木版)。集名に因む句は、    花ひらくなんの途中か悲鳴あげ       満三寿    老 (ろう) たけるなんの途中か盗み食い   であろう。そして、挟み込まれた便り「お手元へ」には、   ボケ防止の散歩の途中で躯が言うことを聞かなくなると、「一寸先は闇」と不意に思ったりします。しかしわが俳諧は、即座に「一寸先は二寸」と興じるのでした。  「なんの途中」の句題もこんな感興のなかから湧きでたものです。  また、。こんな造語もできました。  書斎に隠りっきりでいますと、「書牢」という言葉が泛びあがってきました。さすれば、わたしは書牢のひとり牢名主かと。それで書牢の句が何句もできちゃったのです。    とあった。ともあれ、本集から、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    踏まれざる花野にしばし昼の月   行く鴨を追って無窮へ離れ凧   襤褸バスも土筆もぐんぐん空めざす   少女らのまぶしい修羅やジギタリス   炎天や怒髪の蟻の大あたま   蝉しぐれ何処に置いても老しぐれ   鬼百合も百鬼夜行に加わりぬ   この娑婆を逃れ逃れてアナ ー 鬼 (き) ー   春うらら葷酒書牢に入ることも   生前から老後であったと秋の風   見たような老骸を乗せ花筏   かえり花 婆は不易で爺流行   土手に雲 老いのスキップ即スリップ   野ざらしの夢に野ざらし失笑す   娑婆の手を洗えば春の水におう   マンサクや苦き有情も老いの糧      この道や行く人なしに秋の暮 芭蕉   百代の身から出た錆ついに苔      椋鳥と人に呼ばるる寒さかな 一茶   椋鳥 (むく) きらい椋鳥と呼ばれた一茶すき      鬼の児が生まれた。一から十まで気に入らぬげな産声をあげ 光晴   さびし野や鬼児とだけの隠れんぼ   原満三寿(はら・まさじ) 1940年北海道夕張生まれ。 ★閑話休題・・森澤程「悟朗忌やもの言いたげに立つ微風」(「ちょっと立ちどまって」2026年2月)・・ 「ちょっと立ちどまって」は、津髙里永子と森澤程、お二人の葉書つうしん。もう一人の句を挙げておきたい。   大泣きに泣いて涅槃の土硬し        津髙里永子          撮影・鈴木純一「敵の敵は味方の敵だ高笑い」↑    ...

田辺花「待ち伏せの鬼子母神前春の雪」(『ワイングラス』)・・

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  田辺花第一句集『ワイングラス』(鷗座俳句会)、序は松田ひろむ「序に代えて」。その中に、  (前略) 彼女の句の特徴は、基本的に向日性があることいっていいだろう。  例えば老病死のような、現実であってもマイナスの面には目が向かないで、明るい側面を掬い取る力量はなかなかのものである。  とあり、また、著者「あとがき」には、  ひろむ先生から「句集を出しなさい」「はいお願いします」の即答でした。 「立つより返事」と習った父や母も亡くなり、子どもらも巣立ち、今は犬と猫との同居。返事はしたもののどれから手を付けていいのやら、引っ越しはすでに終え、」言い訳は効かない。  すでにひろむ先生の行動は素早く、てきぱきと指示を出して下さる。  題名も名付け親は先生でした。太穂先生の息子さん(木屋太二氏)が将棋観戦記者で女流棋士観戦に当たって着物柄を表すのに私の句を偶然選ばれたのが題名の「ワイングラス」でした。ご縁は大切に、が私のモットーですからなんともうれしい句集の題名になりました。  とあった。集名に因む句は、          蝋梅やワイングラスの触れては「ソ」     花  である。ともあれ、いかに本集より、愚生好みに偏するが、くつかの句を挙げておこう。    蟬穴の深きところや日本海   朝顔の青は正しくたたまれる   身じろがず退かず木枯一号   げんまんの針千本や犬ふぐり   内灘や太穂先生辣韭食む   「東京水」口にころがす施餓鬼かな   西瓜切るスラムダンクをもう一度   母語母体恋猫は眠れない   寒北斗さくらトラムの鐘二つ   石蕗の花キリンの首はやわらかい   きらきらのネームの迷子盆踊り   青梅の青より青く雨あがる   血管のふくらみに触れ水の冷え   十月の天使の梯子登ろうか   淀みなく散りぬるをわか金木犀   湯豆腐の崩れを掬う胸騒ぎ   三界に家無きなんて灸花  田辺花(たなべ・はな) 1949年、東京生まれ。 ★閑話休題・・大震災以後十五年の今、「東日本大震災句集 わたしの一句」募集!   募集案内を、以下に抜粋しておきたい。  宮城県俳句協会では、東日本大震災の犠牲者を祈り、明日への一歩を刻む礎として、『東日本大震災句集 わたしの一句)をこれまで三度刊行することができました。  今年三月で東日本大震災より十...

早舩煙雨「失笑恐怖ウマヅラハギに消しゴムのカスが降るよ」(「We」第21号)・・

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 「 We」第21号は、第一回We俳句賞発表、大賞は早舩煙雨「点滅」(台湾 1985年生)である。因みに、関悦史選者賞に海音寺ジョー「アマテラス石」(京都府 1971年生)、竹本仰選者賞に加藤ヒロユキ「コスモス」(名古屋市 1998年)、加藤知子選者賞に田中目八「セノーテ」(大阪市 1978年)。選考の選評に関悦史は、  応募総数は13篇と多くはなかった。全体に奇矯ながらそれが作者の内面に収まってしまい新鮮味には繋がっていない作品が多いなかで、ともかく奇襲性において最も優れていると見て私は「点滅」に4点を割り振り、1位とした。  《あなたは 葡萄石 あなたを見たことがない》の二人称「あなた」や、《天井裏を覗く女そのまま花となれよ》の女への命令形などは、自意識に立てこもってそこから攻撃的な言辞を発するかのような表現の狭さとしても出て来うるものだが、句はそういう性質からは微妙に一線を画している。 (中略)  長短さまざまの自由律を含む20句は、必ずしも全てが成功しているとは限らないが、もたついたところはなく、言葉が奇矯で無味乾燥なオブジェになりはててしまう危険と、逆にセンチメンタリズムに陥る危険の間の細道を渡り切ろうとする気息が一貫していた。  と記している。ともあれ、本誌より、いくつかの句を以下に挙げておこう。   桜散る乾いた悲鳴に似ていた         中内亮玄    中国語講座五巡目冬に入る        海音寺ジョー    真鰯の群れ爆散す爆縮す         加藤ヒロユキ     汲めばはや烟る水こそアラベスク       田中目八    茶の花や耕すように一と書く        柏原喜久恵    冬の鷺墨とまなこを腐乱させ         加藤雅臣    幼の目全き冬の蝶宿す            貴田雄介    寝返りに寿衣破るるや花の主         斎藤秀雄    異界とも交わす交信日向ぼこ         島松 岳    北へ汽車父冬耕の野に訛る          竹本 仰   夜学校おわる頃なり月の雨          林よしこ    シロナガスクジラというも火の時間      阪野基道    近すぎる他人のごとく冬の河        松永みよこ    やわらかなバニラ掬って秋の昼       籾田ゆうこ    今はまだこ...

森和子「賽銭に反戦足して春の風」(TAMA塾「現代俳句入門講座ー俳句は過渡の詩ー」第6回・最終回)・・

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  大國魂神社欅並木参道・虚子句碑「秋風や欅のかげに五六人」↑   3月9日(月)は、TAMA塾「現代俳句入門ー俳句は過渡の詩」第6回(最終回)、大國魂神社吟行句会だった。以下に一人一句を挙げておこう。    和紙の人形 (ひとがた) 忽ち融けて水温む    吉田久美     春光や干支の大絵馬子ら走る          田中典子    風の冷たさ小さき春や石の上         早川ひろ美    大鳥居深くお辞儀のべティさん        小田嶋英子    人形を流せる川の水温む            篠木裕子    春めきて献血募る鳥居下           佐藤三千男    幾百の祈願の絵馬に春の風           渡辺一枝    啓蟄や魂 (たま) の大社に日露の碑       宮石 修    過ぎ去ればうららかな春巡り来る        太田直子    大国のけやきのすき間風光る          中田京子    花の香よあまたの絵馬に届けよ願い      二郷寿摩子    悠久の春を経てこそ寿ぎぬ           小川幸子    春色に社の庭も染まりゆく           村上佳枝    地を守り悠々の時御神木            梶木純子    枯れしままの並木の奥に総鎮守         中西雅子    店先に桜の器春うらら             花見育子    青空にのびゆくけやき待てる春         上阪則子   絵 馬並びお祈りせしはちちとはは       大泉由美子     千年の欅の太さ春うらら            森 和子    芽吹くかの欅のそばを消防車          大井恒行   ★閑話休題・・檀一雄(瓦全亭)「子捨てんと思へど青し海の底」(「ポリタリア/檀一雄追悼特集号」より)・・ 「ポリタリア/檀一雄追悼特集号」(白川書院)「瓦全亭」は檀一雄の別号。編集部註に「北斎書に曰く「大丈夫寧可玉砕何能瓦全」とある。また別に、短歌では「奇放亭」の号を使用、こちらは、ドン・キホーテにちなみ、たわむれに檀・奇峯亭。あるいは奇泡亭とも称したとあった。いくつかの句と歌を挙げておこう。    モガリ笛いく夜もがらせ花に逢はん     (絶筆)    堕落天使虚空に星の音ばかり   梟の夢にもたける鬼火哉   花散るやうづもるる...

井口時男「おぼろ夜の花にまぎれてもの狂ひ」(「鬣 TATEGAMI」第98号)・・

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「鬣 TATEGAMI」第98号(鬣の会)、特集は「アンソロジーの俳句史 その2」、「井口時男評論集『近代俳句の初志』、加えて「第24回 鬣 TATEGAMI俳句賞発表」である。今回の受賞は、秋尾敏『子規に至る 十九世紀俳句史再考』(新曜社)と高橋修宏『暗闇の眼玉 鈴木六林男を巡る』(ふらんす堂)。 ここでは、高橋修宏「召喚される〈俳句史〉--『非空非実の大文学』をめぐって」の一部分になるが、紹介しておきたい。 (前略) ところで、子規の「非空非実の大文学」をめぐっては、一九七〇年代の〈俳句史〉において、俳句論の起源のひとつとして俎上に載せた一人の俳人がいた。坪内稔典である。彼は『正岡子規』(一九七六年)、『過渡の詩』(一九七八年)などにおいて、それまでの子規像の更新と俳句の根拠をラディカルに問いなおすなかで、「非空非実の大文学」という子規の初志に、すでに出会っていたのだ。そのなかで坪内が掴み出したのが、「過渡の詩」というコンセプトであった。これについて坪内は、「人の過渡性にこだわりつづけることが、俳句の一切であり、そういうこだわりをジグザクに持続してゆくほかには、俳句を書くことの理由がない(…)俳句は、そのような在り方において、同時代の詩としての位相を持っている」(「過渡の詩」より)と記している。  一方、井口は本書の「あとがき」において、「俳句は『雑の詩』である。ゆえに、対象やテーマを狭く限定してはならない。森羅万象、人事百般、思想観念、喜怒哀楽の一切が俳句の対象。「花鳥」も「社会性」も言葉遊びも述志も、みんな雑の一つに過ぎない。これこそ『俳諧自由』の精神である。」と述べている。  井口時男の「雑の詩」と坪内稔典の「過渡の詩」―—。「非空非実」の大文学」という子規の初志を踏まえ、そして引き継ごうとする、この二つのダイナミズムを内蔵させた俳句理念が出会うとき、「無風」と呼ばれつづける俳句の世界に、想定外の大風が吹くのかもしれない。 とあった。ともあれ、以下に、本誌よりいくつかの句を挙げておこう。   鉄棒は鉄の仕方で冬ざるる             吉野輪とすん   電柱も影の国とて秋の暮                九里順子   ときめきを禁じるように文庫閉づ            佐藤裕子   喪服の穴黒く塗れよと生身魂              滝澤航一 ...

赤野四羽「いと高き天使めく白菜をむく」(「春の歌よみ展」より)・・

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               3月7日(土)「春の歌よみ展/俳句・川柳・短歌・回文・絵手紙」(於:ギャラリー ステージワンー3月2日~7日)の最終日、それも終了間際、五分前に駆け込んだ。参加者は、  赤野四羽・新井ユミ・荒野晶子・市原千佳子・市原正直・乾佐伎・エディ上枝・おのみん・鎌倉佐弓・木村哲也・黒木洋子・黒澤淳一・小池政光・田島光枝・田島靖浩・高津葆・田中晴久・種村国夫・藤永大一郎・堀明子。  というけで、ゆっくりは観られなかったが、いくつかを見、何人かの方とお会いした。以下にいくつかを紹介しておきたい。    熱燗のよき人肌のある言葉          市原正直    角の先からしっぽの先まで太陽光が歌う牛   夏石番矢    希望とはジャングルジムの中の風       乾 佐伎    大空に請われるままに木の芽吹く       鎌倉佐弓    捨て切れぬ煩悩背負いて山笑ふ        黒澤淳一    酔うも野谷しんじ紳士や飲もうよ       木村哲也    饅頭のどんどん並ぶ年の暮          赤野四羽  ★閑話休題・・チェリー木下「ほらあれが首吊りの木と幼子が闇を指さす終電車両」(『チェリー木下 蔵出し作品集』より)・・   『渦とチェリー新聞別冊/チェリー木下蔵出し作品集』(渦とチェリー新聞)、愚生は先日、国分寺に出たついでに、散歩のつもるで、気まぐれに半世紀も前に何度か訪ねた西武線鷹の台の駅に降りた。線路添いにある近くの喫茶店に入った(店名は失念)。ようするに、ギャリー兼の喫茶店の様子で、展示されているなかに、誰かが俳句らしきものも短冊にして飾られていた。  そこに置かれていた小冊子が,上掲の写真だ。中に、「チェリー木下版猟奇歌」掲載されていた、その中の一首を引用、させていただいた(閑話休題に…)。愚生は紅茶とケーキセットにしたのだった。静かで良い茶店だった。また、いつか寄ってみたい。         撮影・芽夢野うのき「春寒しさざなみさむし夢の岸」↑

高山れおな「梅の闇アメーバ状に我を愛す」(第77回「読売文学賞」贈賞式と祝賀会より)・・

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右から二人目が高山れおな↑   3月6日(金)午後6時から、帝国ホテルに於て、令和7年度・第77回読売文学賞の贈賞式と祝賀会が開催された。受賞者は高山れおな句集『百題稽古』(詩歌俳句賞)、その他の受賞者は柴崎友香『帰れない探偵』(小説賞)、赤堀雅秋『震度3』(戯曲・シナリオ賞)、石川直樹『最後の山』(随筆・紀行賞)、冨原眞弓『トーヴェ・ヤンソン』(評伝・伝記賞)、兵頭裕己『物語伝承論』(研究・翻訳賞)の6部門。選考員講評は高橋睦郎。  因みに、高山れおなの「受賞の言葉」には、   ニ〇ニ三年刊行の拙著『尾崎紅葉の百句』は俳人としての尾崎紅葉に光を当てた、恐らく史上初の単行本です。読売新聞社が文学の賞を主催する前提には、明治二十年代の同紙を舞台にした紅葉らの活躍に始まる歴史があるのであり。このたびの賞を頂戴したことに、大袈裟に言えば天命を感じます。なぜか。紅葉の俳句は、近代の主流をなした子規派の俳句に対するオルタナティヴだったからです。 (中略)    明日 (あす) 城を抜く手いたはる榾火 (ほたび) かな  紅葉  とあった。  ともあれ、『百題稽古』からと合わせて、以下にいくつかの句を引用しよう。    戦艦重信蜃楼 (かひやぐら) から撃つてくる        れおな             「ほりかは」雑二十首、題「海路」より    我が狐火も霜夜は遊べ狐火と             「永久」恋十首、題「忍恋」より    短歌 (うた) は愚痴俳句は馬鹿や躑躅燃ゆ   春雨や既視感 (デジャ・ヴュ) のほかに俳句なし   昭和百年源氏千年初鏡   静聴せよ偽の時雨を憂国忌    高山れおな(たかやま・れおな) 1968年、茨城県日立市生まれ。       撮影・鈴木純一「後戻りできぬ 2 人のひとごろし」↑           アリー・ハーメネイー   2026 年 3 月 1 日没

子規「はれきつた空や雲雀(ひばり)の声青し」(「図書」3月号より)・・

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 「図書」3月号・927号(岩波書店)、神野紗希「あきらめる以上のこと」の結びに、    露草や野川の鮒 (ふな) のさゝ濁り   子規   豚汁の後口渇く蜜柑 (みかん) かな    〃   糸瓜 (へちま) 咲て痰のつまりし仏かな  〃  野川の何気ない風景も、豚汁や蜜柑を食べる他愛ない日常も、子規は大切に詠みました。亡くなる十数時間前に詠んだ糸瓜の句では、遺骸となった未来の自画像すら淡々と描いてみせました。ささやかな光を取りこぼさず、病の身すら己の手でありのままに写すことが、「あきらめるより以上の事」、運命に対する彼の抗いだったのです。   とあった。たまたま、数ページ先にあった、中村祐子「女が狂うときー21/ 狂ひと物語/狐憑き、石牟礼道子と森崎和江 」が目に止まった。その結び近くに次のようにあった。 (前略) 「おなごというものは、生まれながらにして三界に家なし」  みっちゃんの父はそう、憐憫(れんびん)とも諦めともつかぬことを言う。  道ばたを自由に歩き、そのたびに女たちに手を引かれて返されるおもかさも、天皇陛下が水俣へ行幸なさるときは「精神異常者は、ひとりもあまさず、恋路島に隔離の措置」と隠された。  中央の、大学の、やがてこの街を破壊するチッソの論理が覆いつくす前の、石牟礼が描くあたたかい体温をもった水俣では、おもかさまは自由に通りを歩いていた。「しんけいどん」と呼ばれながらも、何かの物語に依拠することなく、おもかさまはおもかさまの時間のなかで、みっちゃんと豊かな山の息吹を感得しながら生きていた。  精神をやんだ「しんけいどん」が「三界に家なし」の「おなご」として、それでもみっちゃんや娼楼の姉さんたちと、いたわり合いながら暮らした土地。  だからかもしれない。水俣病に覆われたかの地で、病に倒れた人たちの連帯が強く起こった。石牟礼はその中心にいたが、多くの人が嘘偽りのない体で東京まで出ていって座り込みをしたのだ。 「狂わる」人が狂ひの時間を女性たちと生きた土地もあれば、社会が女を狂わせ、社会が女に狂う物語を与えることもある。行き場のない狂気が娘にまで「吹き寄せ」られることもある。おなごの煩悶はそれだけ底なし沼のように深い。   と記されていた。 ともあれ、前掲の神野紗希の文中から、いくつかの子規の句を挙げておこう。   例年よ彼岸の入に寒いのは...

安斎未紀「信頼と依存の違ひ知らぬまま生きて(それは本当の生?)(「Sister On a Water」より)・・

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  「Sister on a Water (シスター・オン・ア・ウォーター )」(シスオン)、特集は「安斎未紀」。主な内容は安斎未紀「希死念慮」、安斎未紀エッセイ「猫、と言われても…」、喜多昭夫選「安斎未紀 100首」、資料『掌上動物園』『2024年2月刊)として、藤原龍一郎「解説 短歌に選ばれた人」。批評『短歌人』2024年9月号「安斎未紀歌集『掌上動物園』より、森島章人「自らの祭司」、高島裕「イリュージョンを超えて」、池田裕美子「宿命を織る――散華図絵」、そして、喜多昭夫「死への接近/生への活路」、笠木拓「色彩がふちどる水母」、小関祐子「美しきサバイバー」。エッセイに岡田悠束「安斎ちゃん」、一首鑑賞に大森静佳、平岡直子、小田鮎子、髙田暁啓。喜多昭夫と安斎未紀対談「短歌表現は『救抜』となりうるか?」。ここでは、藤原龍一郎の解説「短歌に選ばれた人」の一部を引用しておこう。  (前略) あとがきに「精神障害との闘病に明け暮れつつとうとう短歌を離れることが無かった」とあるとおり、安斎未紀は過酷な病に心身を苛まれつつも、短歌を唯一の自己表現の方法として、離れることがなかった。これは、逆に言えば短歌自身が安斎未紀という歌人を手放さなかったということだろう。 (中略)  最後に「拒眠の棘」という一連から何首かを提示する。  眠る気がしない、眼 (まなこ) もつ、恐らく幼少期にそを知りき  +  枕に血潮 耳から脳が垂れてくることもありなべてだらしないから  眠れぬを日常として暗がりに水色の蛾のひ狂ふなり  読んでいて胸が押し詰まるような一連である。音読してみるとさらに切迫感が増加して、息苦しくさえなる。  繰り返すが、自ら体験した心身の苦しい状況を短歌で表現するということは、その苦悶を追体験することにほかならない。それは生半可な精神ではできない。これを表現せずにはいられないという強靭な表現意志が必要なのだ。その表現意志に短歌型式もまた、応えている。その意味で安斎未紀は、」まぎれもなく短歌に選ばれた人である。短歌に選ばれた人の命がけの表現を受けとめてほしい。  とある。 ともあれ、本誌より、いくつかの作品を以下に挙げておきたい。  死を願ひ髪を洗ふをやめし朝雨は黄蝶を濡らしてゐたり       安斎未紀  わずかずつ平癒してゆく痣を持ちみじかい夢をかさねて眠る     小俵鱚太...