久保田万太郎「人情のほろびしおでん煮えにけり」(『久保田万太郎と現代』より)・・
慶応義塾大学『久保田万太郎と現代』編集委員会編『久保田万太郎と現代/ノスタルジーを超えて』(平凡社)、序は関根謙「万太郎の示した道」には、
久保田万太郎があまりにも想定外の出来事によって急にこの世を去ったのは一九六三年、万太郎七三歳の初夏だった。その前年、正確には半年ほど前に、万太郎は自己の著作権の一切を慶応義塾に寄付すると表明していた。銀座で開かれた自身の誕生祝いの席上でのことである。今から六一年前のその日の久保田の決意が、本記念出版の直接の種子となった。(中略)
本書『久保田万太郎と現代』は三部から構成されており、三〇名を超える執筆者の熱のこもった文章が、まさに百花繚乱のように配列されている。第一部「文学の巨人・久保田万太郎」では、久保田万太郎を慶応義塾および『三田文学』との関りを踏まえつつ、永井荷風、水上瀧太郎、折口信夫などとの交流・影響について詳しく論じている。(中略)第二部「万太郎を知る」では、特に久保田万太郎をよく知らない世代の読者に向け、久保田万太郎の文学者としてのイメージ、その人生の足跡、その人格と個性を、万太郎の生きた東京浅草をはじめ大阪、鎌倉などの生活圏、さらには戦前と戦後に旅した中国との関係も注視し、時間軸と地域空間を縦横に網羅して詳しく紹介している。(中略)また第三部「万太郎発見」では、現代の久保田万太郎研究の成果がまとめられている。(中略)
本書ではこうした論考のほかに、現在日本の文芸界各領域で活躍中の方々に、久保田万太郎についての思いをエッセイという形でお寄せいただいた。
とある。俳人の論考は、恩田侑布子「やつしの美の大家―近代俳句における万太郎の位置」、髙柳克弘「一七音のかげ」、行方克巳「三田俳句の流れ、そして万太郎」,鈴木直充「『春燈』主宰・久保田万太郎―独自の結社観と選句姿勢」である。その他愚生の好きな作家に出久根達郎「寒おすな」、池澤夏樹「『木津麗奈屋』から『大寺学校』へ」、村松友視「謎の怪魚」、吉増剛造「万太郎ノート」、四方田犬彦「脚色家の矜持」、荻野アンナ「世間話の文学」などがあった。ともあれ、以下に本書中より、いくつかの句をアットランダムに挙げてこう。
うちてしやまむうちてしやまむ心凍つ 万太郎
ハ月六日
あさがほのはつのつぼみや原爆忌
ゆく年やむざと剥ぎたる烏賊の皮
香水の香(か)のそこはかとなき嘆き
病む
枯野はも縁の下までつゞきをり
時計屋の時計春の夜どれがほんと
さびしさは木をつむあそびつもる雪
短夜のあけゆく水の匂ひかな
叱られて目をつぶる猫春隣
あきくさをごつたにつかね供へけり
したたかに水をうちたる夕ざくら
島崎先生の「生ひ立ちの記」を読みて
神田川祭の中をながれけり
竹馬やいろはにほへとちりぢりに
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな
久保田万太郎(くぼた・まんたろう) 1889年11月7日~1963年5月6日、東京市浅草区田原町(現・東京都台東区)生まれ。
鈴木純一「過越しの軒に杉折掛けて寝る」↑
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