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清水正之「朧月串刺しにするスカイツリー」(第15回「きすげ句会」)・・

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   今日、3月16日(木)は第15回「きずげ句会」(於:府中市中央文化センター)だった。兼題は「石鹸玉」。以下に一人一句を挙げておこう。    石鹸玉虚空に消えて一雫         井上治男    はこべらを茹で食べてみる震災忌     山川桂子    汀子忌や西行く人と春死なむ       清水正之    くの字の背まんま映すや春の窓      寺地千穂    塗り替へしスコアボードや春一番     高野芳一    六十秒いのち揺らしてシャボン玉    久保田和代    白梅やそばに鉄棒そこはそれ       濱 筆治    菜の花の苦みも香る母と子と       杦森松一   蕗のとう大地の恵み天ぷらに       井上芳子    春うらら天才バカボンこれでいいのだ  大庭久美子    橋を渡る指先白き春愁い         大井恒行  次の16回は4月20日(木)、於:府中市生涯学習センター。兼題は「鶯」。句会のあと、バスで移動し、武蔵小金井北口の愚息のワインの店「switch(スイッチ)」にて、有志6名の予約を入れて17時から飲み会をした。一度は行きましょうと言われていたので、ホッと一息。    撮影・鈴木純一「じゃが芋の芽をとりのぞくこっちを見た」↑

倉本聰「青麦(あおむぎ)の しげれるまにまに はたけびと」(『破れ星、流れた』より)・・

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  倉本聰『破れ星、流れた』(幻冬舎)、扉裏に献辞、  隕石も 落さず散った 破れ星  「私ね、流れ星の中にはきっと、崩れ星っていうか破れ星っていうか、  流れ星にもなり切れないで散る、ゴミみたいない星があるって気がするの。  純君、私たちって、そんなもんじゃない?」(小沼シュウの語録より)                           “破れ星、流れた“  とあった。そして、   おやじの匂いを不思議に覚えている。  おやじの死んだのは昭和二十七年。僕がまだ高校二年の冬で、日本はまだ敗戦から立ち直れないでいた。 (中略)   おやじの遺したものは負債しかなかった。  永い間ずっとそう考えていた。 (中略)  たしかに親父は物質的遺産を殆んど僕らに遺してくれなかった。しかし生まれてから十七歳まで、ともに過ごした歳月の中で、おやじは僕の気づかぬうちに、計り知れない膨大なものを遺して行ってくれたのではなかったか。 (中略)   そう気づいたとき、僕は狼狽 (うろた) えた。  そしてその時何故か唐突に、おやじの匂いを思い出したのだ。  おやじの匂いには枯草の匂いがした。  枯草と、そして焚火の匂いがした。  それから原野の闇の匂いがした。  という。親父とは、山谷春潮(やまや・しゅんちょう)のことである。『野鳥歳時記』を書いた人である。その父・春潮(本名・太郎)については、『野鳥歳時記』の志村英雄の解説に詳しい。それには、「 春潮の次男の馨氏は、シナリオ作家の倉本聰氏である 」ともあり、   さて、山谷春潮は、本名山谷太郎、明治三二(一八九九)年、父の徳次郎が、しばしば津山に帰郷していた間に生まれた。東京の開成中学、岡山の第六高等学校をへて、一九二〇(大九)年、東京大学工学部応用科学科に入学した。腎臓病で入院し、一九二五(大一四)年、二年遅れで卒業し、日清製粉に入社した。 (中略)   春潮の趣味は、牧野富太郎に師事して植物採集をしたり、浜田庄司や柳宗悦の「民藝」運動にもくわわったというが、「やはり一番熱心だったのは、野鳥の会の中西悟堂氏との交遊であり、水原秋桜子先生を通ずる俳句との関わりである」と、「メモ」はいう。    とある。その『野鳥歳時記』の初版は、1943(昭18)年8月に日新書院から発行され、戦時にも関わらず、数度増刷されている。現在、上掲写...

永田耕衣「抱きこめば女体虚空の匂いのみ」(「UNPLUGGED 風餐」11号より)・・

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 「UNPLUGGED 風餐」11号(風餐編集部・発行人 府川雅明、発売・夜窓社)、インタビュー記事に、「詩人 井川博年に聞く〈日本近代以降の詩文学を概観する〉」があり、聞き手は、府川雅明と三宅政吉。その中に、 府川 明治からの一世紀半の格闘の中でコアとなる現代的課題は何ですか。 井川 さっきの日本語の主語の曖昧さと、モダニズムの葛藤。これをどうやって結合させるかが現代詩の問題としてある。文学のモダニズムは口語ですからね。 そのモダニズムと短歌は相性が良い。啄木の歌は口語でしょう。だから俵万智の『サラダ記念日』のような口語短歌が出ても不思議ではない。しかし残念だが、悲歌しか歌えない。短い歌は感情を表すことはできるけど、歌謡曲になる。日本語は音が貧弱で単調。最後にはお経のようになってしまう。だから海外では逆にエキゾティックに聞こえます。 府川 日本語の音声の貧弱さを補おうと、北川冬彦、北園克衛らのモダニストは視覚イメージに特化しようとしたわけですね。 井川 それも結局、小林秀雄のいう「新しい意匠」というわけです。   その他、府川雅明によるインタビュー記事の目次を挙げると、  上田悟司「今なぜ複雑系経済学なのか」、セバスチャン・トゥアーズ「日本を知るためのドイツ入門」、ファビアーナ・トーレ「イタリアの真実」。    その他、イヴァ―ン・アフメーチェフ詩抄(岡田和也訳)があるので、二、三紹介しよう(原語が付されているが省略)。  ***  闇 〔くらがり〕 で書いてゐたら  気が付かなかった  筆 〔ペン〕 の書けぬこと  ***  子禽たちが目覚めた     すると人々も  天井を踏み鳴らしながら   ***   否 〔いや〕  革命は不要  互連網 〔インターネット〕 が  有るならば    陽炎へる男の胸の起伏かな         今井 聖 ★閑話休題・・笠原一郎『ディズニーキャストざわざわ日記/“夢の国“にも✖✖✖✖ご指示のとおり掃除します』・・・   笠原一郎著『ディズニ―キャストざわざわ日記/“夢の国“にも✖✖✖✖ご指示のとおり掃除します』(発行:三五館シンシャ・発売:フォレスト出版)。著者の笠原一郎は、愚生の高校の同級生の弟君である。カバー表3の略歴には、   1953年山口県山口市生れ。一橋大学卒業後、キリンビール入社。マーケティング部...

永井潮「大根の今日と明日とに切られをり」(2023年度東京多摩地区現代俳句協会定時総会・陽春句会)・・

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                吉村春風子会長挨拶↑   昨日、3月12日(日)午後2時から、東京都多摩地区現代俳句協会、2023年度定時総会&陽春俳句会だった。愚生は、久方ぶりに参加した。愚生も年を重ねたが、皆さんもそれなりの年齢を重ねられていた。ともあれ、陽春句会の幾人かの句を挙げておこう。   ものの芽のひとつ一つにある力        吉村春風子    陽炎が出迎えに待つ無人駅           蓮見徳郎    推敲を重ねる一字笹子鳴く           長井 寛    帰り来てひとりの春の灯をともす        江中真弓    花の絵のマンホール踏む二月かな       秋山ふみ子    無心とはただ歩くこと春の尾根         宮腰秀子   流氷やさまざまな声ひびきあふ         根岸 操   老化とはあの白梅が遠いこと          野口佐稔    吾というはるけきものに芒の穂         髙野公一    探梅や金銀飛車角香り立つ          石橋いろり       探梅や道ゆずられる車椅子           長野保代    陽炎はもみくちゃスクランブル交差点     飛永百合子    座蒲団に猫睡りおり雛の間           蓮見順子     臘梅や時間が淡く透きとおる         山崎せつ子    捨てられぬ藤村詩集草萌ゆる          戸川 晟    蕗の薹平和なればのえぐ味かな         武藤 幹    みつあみが四人こしかけ春の暮         西野奏子    安逸に群れる生き方蝌蚪の国          望月哲士    青空に踊る瘤の樹日脚ぶ            前田 弘    灯をともし火のように落つ雪椿         大井恒行 ★閑話休題・・「戦争と増税に反対し 23春闘で大幅賃上げを!」('23三多摩春闘交流実行委員会)・・・  一昨日、3月10日(金)夜は、’23三多摩春闘交流実行委員会の結成集会(於;立川RISURUサブホール)と市内のサイレントデモ行進だった。愚生は、たぶん15年ぶりの参加で、不謹慎のそしりもあるだろうが、毎日一万歩目標の散歩、ウオーキングための、気楽なつもりの参加、浦島太郎気分であった。参加者の中の、たぶん最高齢(何しろ今年は...

岩切雅人「陽は真上人間日に日に縮むかな」(『烽燧』)・・

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  岩切雅人第三句集『烽燧(ほうすい)』(鉱脈社・2005年刊)、著者「あとがき」に、 (前略) 本句集には、第二句集『青銅譚』以降の作品…つまり、職場の転任により長崎県対馬に渡り、沖縄県・鹿児島県を経て今年の春に漸く帰郷し、それを待って嫁いでいった娘を見送るまでの、単身生活五年間の作品二五〇句を収めた。配列は、概ね作句順になっている。 (中略)   この対馬の地勢は、今も本質的には変わらないまま続いており、朝鮮半島まで五十キロメートル弱しかないことから、気象条件に恵まれれば、肉眼でも隣国がはっきり見えるし、事実何度となくその幸運に恵まれ、壱岐をも望むことができたが、九州本土は見えない。 (中略)   当初、それらの景観や対馬ならではの釣りを楽しんだが、途中から鬱が顔を出すようになった。ただ、この地には、すべての官公署の出先機関が揃っており、それらの長のうち、単身赴任者で構成する「烽燧の会」という親睦団体があったが、その会を通じて親しくなったメンバーに、随分と精神面をほぐして貰った。  「烽燧」とは、防人時代に制度化された通信制度で、烽火と狼煙を指す。 (中略) 琉球…沖縄は今も琉球である。多少の誤解を覚悟で言えば、ウチナ―(沖縄人)とナイチャー(内地人)をはっきり区別し、サンシン(琉球三味線)を奏で、琉歌(琉球民謡)や琉球舞踊を大切にしながら、明治以降、日本の占領政策によりウチナ―口(琉球言語)の復活を図っている。 (中略)  鬱王… (中略) 鹿児島にいた一年間、気分転換のために一人で遊びに出るということが一度もなかった。常に頭の中に仕事があり、また、仕事を考えていない時間を持つことに罪悪感を感じ、気付いたときには、兜子を奪った鬱王が眼前に両手を広げて立ちはだかり、不眠・悪夢・悪寒・発熱感に苛まれ続け、週末は実際に熱発して寝込むことが多くなった。やがて精神安定剤と点滴なしには過ごせなくなり、何度となく山の神殿の来鹿を求め、その度に救われた。しかし、もう限界‥‥と感じたときに帰郷が認められた。帰郷後一月余りを経て、鬱は徐々に影を潜めている。  とあった。帯文には「 島では、樹は痩せ/人はつよく生きている/対馬から琉球へ、島の日常をつないで今を問う著者の第3句集 」とある。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておこう。    対馬烈風しかしどの木も歩けという...

岡田耕治「開戦日耳に空気を通しけり」(「香天」2023年2月・通巻70号)・・

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  「香天」2023年2月・通巻70号(香天の会)、メインは、第1回「鈴木六林男賞受賞作品」の掲載であろう。本誌に『第一回 鈴木六林男賞 作品集』が同送されていた。選考委員は岡田耕治・岡田由季・久保純夫・曽根毅・津髙里永子・堀田季何の6名。昔あった鈴木六林男、高柳重信らの「六人の会賞」を思い出したりした。岡田耕治がまとめた「選考経過と選評」に、  (前略) 二〇二二年九月二八日までに到着した作品は、七七編と、多くの応募をいただいた。 (中略) 選考にあたり、各委員の持ち点を十点とし、最高五点以内で応募作品に点数を付けていただいた。  各選考委員の採点を合計したところ、最高点七点に木村オサムさん、玉記玉さんが並んだので、第一回鈴木六林男賞をこの二人の受賞とすることを選考委員に提案したところ、全員の了承を得た。また六点の中西亮太さん、五点の石井稔さん、横山香代子さん、夏礼子さんの四名を六林男賞秀逸とすることについても、了承を得た。 (中略)  鈴木六林男の俳句の書き方にふさわしい「拡大進行形」の表現に出会えたことは、私自身の俳句づくりの刺激ともなった。今後も、この賞にふさわしい意欲的な作品に出会えることをたのしみにしている。  とあった。ともあれ、本誌同号と六林男賞の中から、いくつかの句を以下に挙げておきたい。   円錐に目の現るる原爆忌         木村オサム(鈴木六林男賞受賞)    スタンディングオベーション既に凍滝    玉記 玉(  〃  )    じゆげむじゆげむ緑蔭に哺乳類       石井 稔(六林男賞・秀逸)    左右より名前呼ばれて暮早し        中西亮太(  〃  )    煮崩れるまで大根にて流星群       横山香代子(  〃  )    向日葵の確かに枯れを急ぎけり       夏 礼子(  〃  )   三界はいずこに置きし椿餅         久保純夫    泣いてから眠ってしまう毛布かな      岡田耕治    冬うらら手術の荷には句帳入れ       夏 礼子    落下墜落堕落落魄初寝覚          安田中彦    初夢の大きな目玉に追はれけり       渡邊美保    馴鹿 (トナカイ) や圧力鍋のバルブ鳴る   綿原芳美    日溜りをを抜け出してくるスワンかな    石井 冴   ショールから昔は美女が...

マブソン青眼「雨・晴れ・雨・晴れ・雨・晴れや貴婦人島(マルキーズ)」(『遥かなるマルキーズ』)・・

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  マブソン青眼『句集と小説 遥かなるマルキーズ』(本阿弥書店)、帯の惹句には、   南太平洋の、そよ風香る/不思議な時空……  “アニミズム句集“と/“アニミズム小説“を一冊に  時が止まる/地球の果ての孤島で、/ゴーギャンとブレルが愛した  神秘の島で、/人間と人魚の/壮大なる恋物語……  無限大から無限大へカヌーかな  とある。著者「あとがき」には、   二〇一九年から二〇二〇年六月まで、フランス領ポリネシア・マルキーズ諸島ヒバオア島で一人で暮らした。もともと以前から日本社会の閉鎖性に疲れていて、ある日突如、世界で最も孤立した島に住んでみようと決めたのだ。 (中略)   二〇二〇年三月十六日、島に二つしかない店のひとつに入り、いつも通りその女店員とあいさつ代わりの「頬っぺにキス」を二回交わした。彼女に「元気だけど、ちょっと風邪をひいている」と言われた。その四日後、二十日の夕方、散歩中に肺の上辺りに激しい痛みが急に出て、その後は熱、絶えない咳、そして突然始まって治まる猛烈な倦怠感・頭痛が続いた。 (中略)   三月二十七日、私は寝たきりで、ほとんど肺が開かない状態で、死に支度をした。枕元に持っていた現金を全て机に置いて、「ゴーギャンとブレルと同じ墓場に葬って下さい」という遺言を書いた。諦めてホッとしたのか、二日ぶりに少し眠れた。夢の中で、妻と娘が現れた。「大丈夫だ。夏からまた日本で一緒に幸せに暮らそう!」と空飛ぶ人魚 (セイレーン) たちのような姿で告げにきてくれた。 (中略)  とにかく私は、ヒバオアという孤島で無季句五〇〇句と小説一本を書いた。不思議なほど、自由に書けた。 (中略)  特に最も心に残ったのは、ちょうど一茶忌の日となる十一月十九日、仏領ポリネシアで初めての句会を開いたことである。こうして日本の俳句(ハイク)はついに、南洋の孤島でも、地元の人間 (エナタ) によって詠まれるようになった。  Ma’ita te tai /Tani te 'eo manu /’Ena te ua  Raita KAIMUKO(Hiva  Oa)   海白み鳥語ひとつになれば喜雨(まぶそん訳)       ライタ・カイムコ(ヒバオア/マルキーズ語)          (第一回ポリネシア・ハイク大賞受賞)  とあった。読者諸兄姉は、小説の方は、直接、本...