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野澤節子「けふを飛燕父の同じ語短かけれど」(「俳人『九条の会』新緑の集い」より)

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                  望月衣塑子↑                                                      日下野由季↑     昨日、4月15日(土)は、北区王子の北とぴあに於て、2023年度「俳人『九条の会』新緑の集い」(主催・俳人「九条の会」)が開催された。講演は、新聞記者、ジャーナリストの 望月衣塑子「軍拡、増税‥‥、戦争する国を目指す岸田政権~問われるメデアのやく~」 と俳人の 日下野由季「いのちの俳句ー野澤節子」 のお二人だった。  愚生は、実に数年ぶりの、おしのびモードの参加だったので、しかも、少し遅れたので、後ろの方で目立たぬよう座っていたが、バレてしまい(マスクしてたのに)、休憩を挟んだ冒頭には、しっかり紹介されしまった。愚生も、俳人「九条の会」の呼びかけ人の一人だから、それも当然といえは当然のことかもしれない。望月衣塑子の著作物も販売されていたので、それらの中から、皆さんがあまりもとめられなかった、望月衣塑子のインタビュー記事「 記者魂がさく裂!望月衣塑子 」が載っている「arc/23」(レイライン・写真下)を買った。 「arc 」↑              講演に使用されたレジメの一部↑                  望月衣塑子の著作↑  講演は身振り手振りの早口でしゃべり倒した望月衣塑子は面白かったし、日下野由季の語る野澤節子もよかった。ここでは、以下に、野澤節子の句を日下野由季のレジメからいくつか紹介しておきたい。    荒涼たる星を見守る息白く         節子    夕寒しどこの部屋にも雨の音   われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず       天地の息合ひて激し雪降らす   春昼の指とどまれば琴もやむ   冬の日や臥して見あぐる琴の丈   はじめての雪闇に降り闇にやむ   せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ    炎昼や虚に耐ふるべく黒髪あり ・望月衣塑子(もちづき・いそこ)1975年、東京都生まれ。 ・日下野由季(ひがの・ゆき) 1977年、東京都生まれ。     撮影・中西ひろ美「ゆく...

澤好摩「港湾の色無き風に象の藝」(「澤好摩(句)・河口聖(画)展」ー失われし時を求めて 2023ー)・・・

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 「澤好摩(句)・河口聖(画)展ー失われし時を求めてー」(ゆう画廊「銀座3丁目・松屋裏2本目通り」・4月15日16時まで)。   昨日(14日)は不思議な日だった。孫娘の学童の迎えの時間があるので、午後一番で画廊に伺おうと思っていたが、出だしが遅れて、午後2時過ぎになり、ゆっくりするというわけには行かなかったが‥‥。  まず、銀座三越のライオンの前を通りかかった時に、鳥居真里子と、そして、その友人の(お話を聞いて、後で分かるのだが、四国から上京されたばかりの)写真家の露口啓二・加代子ご夫婦に出会い(露口啓二とはFBともだち)、どうしてと聞かれたので、この近くで「澤好摩・河口聖展」をやっている、と言ったら、一緒に行きましょうということになり、画廊の方に歩いていたところで、向うから手を振る女性・坂西敦子に出会った。画廊からの帰りだという。  また、画廊では、澤好摩・河口聖はともかく、伊丹啓子、そして初めてお会いする猫髭がおられた。今日は一度に偶然がいくつかか重なった。そして、伊丹啓子には、夫君の沖山隆久のことも聞いた(快癒を祈念!)。愚生が、東京に流れて最初に出会った同時代の俳人といえば、まず、澤好摩と横山康夫である。河口聖は故大本義幸と歌舞伎町の喫茶「王城」でバイトしていて知り合った仲だ。誰もが貧しかった時代、調理場の大本義幸が内緒でサンドイッチを作って食べさせてくれた、と昔聞いた。ともあれ、澤好摩の短冊の句をいくつか挙げておきたい。      ものかげの永き授乳や日本海        好摩    遠泳の人らを波が消すあたり   重ねたる硝子の水色快楽かな   日とどかぬ雪庇の内の幼戀   燃えながら日はつめたけれ凧   日は月を月は日を追ふ墳墓かな   素描そは雲か寂しい山猫か   三日月を三日見ざれば馬賊かな   謝肉祭ことに水夫へ地の明るさ   黄塵やここに寂しき反乱ありと   甕抱きし双掌を解けば翼かな   紺青のわかれや月に月の暈  本展企画者の掲示文の末尾には「 付き過ぎの相即不離 (そうそくふり) ではなく、お互いが独立していながら照応し合う不即不離 (ふそくふり) の半世紀に亘る交友をお楽しみください 」とあった。また、来る5月25日(木)~5月31日(水)は 「Preludeー未生の絵画ー」河口聖・樋口慶子展(於:ギャラリー絵夢) を開催され...

久保田紺「これからのパン粉としての暮らし方」(「晴」第6号より)・・・

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 「晴」第6号(編集発行人 樋口由紀子)、その「後記」に、   ひとり暮らしのマンション生活を七か月過ごして、自宅の離れに戻ってきました。しかし、またひとり暮らしです。夫が病院のクラスターに巻き込まれ、コロナ感染症で亡くなりました。ひとり暮らしといっても、母屋に住む息子一家とはドア一枚で繋がっていて、毎日孫娘たちが出入りしています。夫とは学生時代に知り合い、結婚して四十五年。川柳歴は四十一年。夫の理解あってこその川柳でした。私に川柳があってよかったとしみじみ思いました。  とある。合掌…。巻頭の論考は、今泉康弘「ゴダールが死んだ秋、ポストモダン川柳について私が考えた二、三の事柄」。前田雀郎(1897年生まれ)「電灯の紐の長さの暮しする」と久保田紺(1959年生まれ)「これからのパン粉としての暮らし方」の両句を併記した上で、  (前略) それに対して (愚生注:雀郎の句に対して) 、紺の〈これからのパン粉としての暮らし方〉はどうか。これは出来事の描写とは見えない。なぜなら、「として」が特殊な使われ方をしているからだ。ふつう、「○○としての暮らし」という表現を使うときは「社会人といて」「大人として」などとするだろう。それがここでは「パン粉」が用いられている。これは違例な表現である。この違例さとは何だろう。あえて「意味」を考えるとこうなる。―「私はこの世界において人間であることに違和感を感じている。だから人間ではなくて、これからパン粉として暮らそう」…。実際にパン粉に変身するという幻想であることも絶対にないととは言えないが、人間でありつつパン粉のように暮らしていく、と解釈するべきだろう。すなわち、「パン粉」は比喩である。では、この「パン粉」比喩としてどう働いているか?それが難解である。何らかのこじつけもできなくはない。だが、結局、この難解さは比喩としての理解を拒否していると考えた方が良いのではないか。雀郎の句とは異なり、紺の句での「パン粉」の比喩は読者の理解を求めていない。 (中略)  すなわち、世界への違和感を、一句の中での語彙の違例な配置によって表す。取り合わせ違例さが、世界への違和感の表出なのである。 (中略)  かつて川上三太郎は俳人に対してこう言った――「どこまでが俳句か、俳句の方で決めてくれ、それ以外は全部川柳でもらおう」(『短歌俳句川柳101年』によ...

神野紗希「眠る子は屍の重さ月朧」(「俳人『九条の会』通信」第25号)・・

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  「俳人『九条の会』通信」第25号(俳人「九条の会」事務局)、メインの記事は、昨年、2022年の「新緑の集い」(4月9日、於:北とぴあ)での講演録2本、神野紗希「戦争を知らない私たちが、戦争の句を読む/詠むこと」と小田川義和「憲法施行七五年・壊憲から活憲の道に――政治の場で強まる改憲論議批判ともかかわって――」。ここでは、神野紗希の講演録を紹介したい。   (前略) もう一つは「戦争を知らない」と言いましたが、「私たちは本当に知らないと言っていいのだろうか」という問題があります。過去の戦争だけでなくて、今まさに、ロシアによるウクライナ侵攻が続いている最中です。これまでにもアフガニスタンでの戦争、シリアでの戦争がが起きました。今も世界中でたくさんの弾圧や紛争が続いている事実があります。 (中略)  今日は、俳句を作り、新興俳句を研究してきた人間として、そして小さな子どもを育てている母として、戦争を俳句の中でどう受け止めて、あるいは詠んでいけばよいのかということをお話ししたいと思います。 (中略)  これは、三月三〇日付け「中日新聞」に掲載された記事から引用しました。ウクライナのハリコフという都市に住んでいる二三歳の女性でウラジスラバ・シモノバさんという方が、まさに今、侵攻を受けている立場から詠まれた俳句です。   破 (や) れ屋の穴より望む星はるか  英語の原文を記者の方と俳人のマブソン青眼さんが和訳して整えたものです。 (中略)     母も死に子も死に河が流れてゐた    窓秋   これは、かつての日本の貧困や厳しい労働の現場に付随する風景として書かれているのですが、今のウクライナでおそらく起きているであろう出来事がこの句である言われてもおかしくない普遍性を持っています。 (中略)  それで戦争の時代になった時に、じゃあ戦争を文語で詠むか口語で詠むか。口語というのはつまり肉声です。一人の人間が生きて発する、生身の肉体から出て来る言葉が口語です。 (中略)   文語を用いて何か一つの真理のように上から降りてくるのではなくて、ボトムアップのように一人の人間の言葉としていつもまにか私たちの心の中に、誰かの声として響いている。そういう戦争の俳句を新興俳句は作り得たということです。 (中略)    カンバスの余白八月十五日  この句は高校三年生の時に俳句甲子園の...

加藤知子「縊る手を持つのはあたし姫女苑」(「We」第15号)・・・

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 俳句短歌誌「WE」第15号・記念号(俳句短歌We社)、巻頭エッセイは高橋修宏「〈モノ〉をめぐって――修造・六林男・十三郎」。その中に、  (前略) この一文で瀧口が指摘する「叙述が最小限に還元され、イメージは純化され、物体が突出する」という下りを読み返すたに、わたしに鈴木六林男の俳句の在る一群の作品を想い起させる。    遺品あり岩波文庫『阿部一族』      『荒天』    かなしきかな性病院の煙突 (けむりだし)    いつまである機械の中のかがやく椅子  初期の著名な作品から抄出したが、いずれも無季である。六林男の無季句においては、その多くの場合、「いつ/どこで/何が/どうした」の「いつ(季)/どこで(場所)」が省略されている。そのため「何が/どうした」だけで一句を書き切るため、「何が」という対象だけが前景化し、いきおい露出するのだ。「岩波文庫『阿部一族』」であり、「性病院の煙突(けむりだし)」であり、「かがやく椅子」が、それに当る。そのことを瀧口の評文に引きつければ、「物体が突出する」と言いかえてもよいであろう。  とあった。また、他の論考・書評では、関悦史「安井浩司『天獄書』を読む/結界と日常を迷走することの主体性」、竹岡一郎「髙鸞石の鏡像を探る試み」などがあった。ともあれ、以下にいくつかの作品を紹介しておこう。   人生に無限あり鯰に追ひつけぬ        関 悦史    金木犀マスクのままの恋始む        松永みよこ   もとほれば紋白蝶を学ぶ石          加能雅臣    空の青とんぼのいない秋の来る        林よしこ    さよならの代わりに舌を出している      早舩煙雨    こまったこまった好きすぎて空蝉になれず  柏原喜久恵    しぐるるや地平に臭き生卵          斎藤秀雄    熊穴に入れと切にひたすらに         島松 岳    部員らの刎ねし布団はまた飛びぬ       下城正臣    青春の書に遭ふ古書肆敗戦忌         瀬角龍平   狼ヨ我ガ剖 (サ) キシノチ其 (ソ) ヲ遊ベ   竹岡一郎    からみつく神を払うて狂い凧         阪野基道    ととのった青田の上でならいいわ       竹本 仰    初心者てふ若夫婦ゐて冬句会         宮中康雄    ...

平敷武蕉「『ワァ―』とさえ言えず裂ける喉である」(「南溟」第14号)・・

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 「南溟」第14号(『南溟』同人会)、詩、短歌、俳句、小説、論考、書評、エッセイなどの総合、沖縄市から発行されている同人誌。中のエッセイ、泉惠得「夫婦字(みーとぅあざ)」には、   私の住所は、沖縄市与儀で、沖縄口では「ゆーじ」と言い、隣の比屋根と対にして「ゆーじ・ひゃーぐん」と呼ばれている。この様に隣り合った地名を一緒に呼ぶのを「夫婦字」と言う様だ。「うちま・へんな内間・平安名」「すなん・やまぐすく楚南・山城」「ぼま・へんざは浜・平安座」「ゆぬび・かーさち栄野比・川崎」、沖縄市の「いーし・なーざとぅ江洲・宮里」「ちばな・まちむとぅ知花・松本」 (中略) 等々実に沢山有る。つらつら慮 (おもんぱか) るに、沖縄は同じ地名が多いから、混同を避ける為、隣と対にしたのではなかろうか。  とあった。面白い。また、論考の真壁朝廣「ケインズの一五時間労働から思いを馳せる」には、  (前略) 手っ取り早いので斎藤幸平の『ゼロからの資本論』から引用する。「世界の富豪のトップ二六人の資産総額は、地球上の人口の約半分、実に約三八億人の資産に匹敵する」などと言われると驚嘆すべきことだと思うが、それが常態となっている世界である。  とある。また、句を内蔵する詩編の一部を引用しよう。        沖縄                 与那覇けい子 (前略) 私が 中学生の時     同級生が 俳句大会で全国一に輝いた     「原潜の記事しきりなり 島の秋」     私が高校生の時     ドルが 円に変った     5月15日は 土砂降りの雨だった  (以下略)   ここで、イレギュラーだが、「あとがき」から少し紹介しておきたい。  ■二月の十二日だったか、安里琉太氏から電話が来た。 (中略) それで、「琉太さんか」と親しみを込めて応じると、相手は改まった口調で「南溟」13号を送ってくれませんかとのこと。▼二月二八日付けの琉球新報の「短歌季評」を読むと、私への批判が掲載されている。やはり、「南溟」はそのために所望したのであろう。電話での応対とはガラリ変わって、驕慢で尊大な論調。論点外しも不誠実である。私は「玉城洋子論」として評しているのに、それへの言及は全くない。私が「人種差別主義者に仕立て挙げられてしまう」とその「誤読」について長々と具体的作品評を提示しながら述べたが、それにつ...

仁平勝「春眠といふ恍惚のかたちあり」(『日々季語日和』)・・

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   髙田正子『日々季語日和』(コールサック社)、著者「「あとがき」に、   第Ⅰ章は「日本経済新聞に、第Ⅱ章は「毎日新聞」に掲載されたものをまとめました。「日本経済新聞社」のコラムは二〇〇八年四月から二〇一二年三月まで「耳を澄まして あの歌この句」のタイトルのもと、歌人二人俳人二人で書き継いだものです。 (中略)   社会部の担当デスクが選んでくださった私の肩書(?)は「二女の母」でしたから、ネタ探しの矛先は自ずと当時中高生であった娘たちに向きました。読み返すと娘たちと一緒に若い私がいて、くすぐったい気分です。 (中略)  「毎日新聞」のコラムは二〇一八年四月からですから、二つの間には十年の隔たりがあります。二〇二三年一月現在執筆継続中で、コラムでは見出しを考える楽しみ(苦しみ)も味わっています。  とある。集中より、季節もちょうど今頃の、ブログタイトルにした仁平勝「 春眠といふ恍惚のかたちあり 」の部分を紹介しておきたい。  (前略) 恍惚とは恍も惚も心ここにあらずの状態をいう。ひと目惚れの惚である。老いのひとつの形態をさすこともあるが、つまりそうやって人は赤子に還っていくということなのかもしれない。  今日の句は句集『黄金の街』(二〇一〇年刊)より。表紙には新宿のゴールデン街がモノクロ写真であしらわれ、章立てが「世代論」「国家論」「転向論」などとなっていてる。団塊の世代の遊び心が満載の句集である。  この句は〈寝たふりをして木枯の音を聞く〉や〈起きる夢見ながら朝寝してをりぬ〉とともに「疎外論」に収められている。となると、がぜん気になってくる。恍惚のかたちに気づいたとき、作者がどういう状況にあったのかが。気づくとは、心ここにありということ。恍惚と対極ではないか。  春眠から疎外されてしまうのは切ない。すべての生きとし生けるものに、再び恍惚たる眠りを。  とあった。ともあれ、以下には、集中より、愚生好みになるが、句のみをいくつか挙げておきたい。     くらがりへ祇園囃子を抜けにけり    黒田杏子    大きな木大きな木蔭夏休み      宇多喜代子    そこばくの羽根風に立ち羽抜鳥     奥坂まや    柿うましそれぞれが良き名を持ちて   細谷喨々   日記果つ父老い長嶋茂雄老い      小川軽舟   鎌首を立ててゴーヤの蔓のぼる    正木ゆ...